ややや。
飼育としてのmanage
Arc Searchに尋ねたら、manage
は「馬を扱う」が語源でした。
古フランス語に由来するらしい。
だとすると「自分の考えを飼育すること」としてmanage
を使っていいわけか。
どちらかというと「手懐ける」のニュアンスだけど。
これは深い。
ラテン語のmanus
の系列なのでmanual
も同じですね。
「手で扱う」を基に、自動車を馬に見立てて「マニュアル車」になる。
もともとは手綱で馬をあやつることだった。
それが時代とともに、馬が機関車になり、自動車に変わり、用語が継承されていく。
わかりやすさ
「わかりやすい」とは何か。 それはメタファーが通じるかどうかだと思う。
抽象論はどう書いてもわかりにくい。 具体例を挙げたり、喩え話を入れたりして、なんとか身近な感覚に接続するようにする。 読者に「これはアレか」という関連付けが起きれば「わかった」という感触が生まれます。
ということは、わかるかどうかは読者次第。 書き手の挙げたメタファーを読み手が知っている保証はありません。 体験したことないことに喩えても接地は起きない。
しかも時代や文化によって、一般に馴染みのあるマインドセットが異なる。
農業国フランスでは「馬との付き合い方」だったmanege
が、産業革命後のイギリスでは「機械操作」のmanage
になり、さらに貿易を扱う商社で「商品の管理」になる。
メタファーの接地する場所が変わるわけです。
同じ言葉でも意味合いが変化してくる。
文章を書く上での「わかりやすさ」でも事情は変わりません。 喩え話を使っても、こちらの意図通りに伝わるわけではない。 相手の体験の中で接地した場所にメタファーが根付く。 すると「違う意味」が花開くわけです。
これがいわゆる「誤配」ということかな。 届けようと思ったものは届かず、それと違うものが届けられてしまう。 それを避けるために多重にメタファーを用いたり具体例を挙げたりしても、ことごとく的をハズすかもしれません。
でも、それでいいのかもしれない。 そのことで読者の中に「新しいもの」が芽生えるなら無駄ではない。 そもそも他者はコントロールできない。 何が芽生えるかコントロールできなくても、何かが芽生えたなら、読んでもらった意味はある。
そこに感謝しないとなあ。
まとめ
ここあたりの賭けもmanage
かな。
意図通りに伝わる保証はないけど、わかりやすくなる工夫はする。
言葉をmanage
する。
その種の落ちたところで、枯れることなく、花が開きますように。
そう願いを込めて。