Jazzと読書の日々

iPadを筆記具として使う方法を模索します

Logseqは箱メソッドをイメージしやすい

いま下書きに使っている書き方。

Logseq

CSSでLogseqをCardy形式にしています。

これを使うとテキストの持つ「箱」の側面が視覚化されます。 アウトライナーの機能を活かすこともできる。 通常のテキストエディタでは味わえない描き心地。

まずズームできる。 取り組もうと思ったところだけを開くことができます。 しかも箇条書きが基本。 バレットをプレスすればドラッグで並べ替えできる。 スワイプすれば行単位のコピーや削除ができる。

さらに折りたたみでテキストを隠すこともできる。 全体の構成を俯瞰しやすい。

そして最後にObsidianへ出力。 リンクやら画像やらはそちらが得意です。 いろいろスクリプトを作ってきましたし。 Logseqはあくまでも下書き。 適材適所でいきましょう。

Cardy

いま使っているcssはこの設定です。 Logseqの「設定→一般→custom.cssの編集」で書き込みます。

#main-content-container {
  background: whitesmoke;
}

.blocks-container>div>div>.ls-block {
  font-family: Hiragino Maru Gothic ProN;
  color: #005;
  font-size: 22px;
  caret-color: red;
  background: ivory;
  border-radius: 5px;
  margin-bottom: 3px !important;
  border: 1px silver solid;
}

.selected {
  background: lavender !important;
}

.bullet-container {
  opacity: 0.8;
}

.bullet{
 border-radius: 2px !important;
}

h1 {
  font-size: 22px !important;
}

h1, h2, h3, h4, h5, h6 {
  color: navy;
}

テキストは読者である

箱メソッドとは「見出し+本文」を「箱」として扱う書き方です。 テキストは「箱」の集まりで構成される。 それがMarkdownに隠れているテキスト観だと思う。

見出しによってテキストを構造化する。 これは話し言葉では起こりません。 何か話すとき、まずタイトルを言ってから話し始める人はいない。

これに気づいたとき、ちょっと驚きました。

見出しは「書物」とともに発明された習慣です。 聖書を見ても論語を読んでも、そこに見出しがある。 見出しによってテキストをブロックに区切っています。

見出しは「箱」を作ります。 パピルスや木簡の束を一纏めにし、その表にタイトルが書かれる。 タイトルに同じ表題は使われません。 見出しは「箱」と1対1対応です。 そうでないと「ヨブ記にあるように」と言いながら、異なった「箱」の話をして噛み合わなくなります。 「箱」を区別するために見出しが付けられる。

見出しは「予言」です。 これから書いてあることを、あらかじめ告知する。 これは不思議ですね。 現実には起こり得ません。 予想はできても予言はできない。

本来「内容」が定まってから見出しは決まるものです。 実際に書くとき見出しから始めることはできない。 付けるとしたら「仮」になります。 「こうしたことを書きたい」という淡い願望が仮のタイトルとして置かれ、それを巡る連想が綴られる。

なので見出しをつけるのは「読者」になります。 書き手であることをやめ、一度「読者」として読み直してみる。 その読み直しのプロセスから見出しが立ち上がる。

自分を他者化する。

「この文章は何を言っているのだろう?」と「自分」が謎になる。 「ここはわかりにくいから何か喩えがほしいな」と「自分」にリクエストする。 「この部分は見出しに合わないや」と大幅に削って改竄する。 その判断をする「読者」。 この「読者」がいないと文章を書くことはできない。

ここあたり「書く」というプロセスは複雑だな。

まとめ

では、どう「読者」になるのか。 これは、それまでの読者体験が規定してそう。