Jazzと読書の日々

iPadを筆記具として使う方法を模索します

書くことの持つアルファ機能について

書いたら書いたで書きっぱなし。

アレゴリー

「これはあれか」の体験が随筆段階で重要だという考察をしました。 ここは悩みましたね。 「これはあれか」より「あれはこれか」の方がいいんじゃないかと。

というのも「あれはこれか→あれこれ→アレゴリー」と語呂合わせしやすい。 覚えやすさも正義です。 受験生がなぜ語呂合わせするのか。 覚えやすいと、ふとした瞬間に頭に浮かぶ。 それで「あれはこれか」となれば儲けもの。

とはいえ、やはり「これはあれか」にしました。 「これ」から「あれ」への連想は距離が遠くなっている。 拡散する方向に進んでいます。 「ここ」から遠ざかるのも冒険の醍醐味。 「あれ」から「これ」だと「引き寄せ」になってしまう。

「引き寄せ」をすると幸せになります。 これは困ります。 自分は動かないわけだから。 他者に動いてもらう発想をしている。 誰かを犠牲にしています。 そこは避けたい。

とすると「これ」から「あれ」へ。 自分がまず「枠」の外に出てみる。 それが随筆段階の持つ意味じゃないかと思いました。

アルファ機能

するとコンセプトマップはその反対になる。 拡散したものを「箱」に収めて整理していく。 そこで使われるのは「収納」のメタファーです。 お片付けを進める。

赤ん坊にとって生まれたばかりの世界は「未知との遭遇」です。 何が起こっているか理解できない。 いつもパニックに襲われる。 泣いてばかりいます。

それを大人は意味づけることで落ち着かせようとする。 言葉をかけてなだめる。 「おしめが濡れたのね」とか「お腹がすいちゃった?」とか。 問いかけながら、おしめを替えたりオッパイを飲ませたりする。

大人が落ち着いていることも大事。 それが本当の「空気」でありオーラ。 赤ん坊はその雰囲気に包まれ「これは安心できることなんだ」と感じ、実際にお乳を飲んだりすることで不安が消えていく。 そうした体験を繰り返すことで「安心」を学習します。

この相互作用を精神分析家のビオンは「アルファ機能」と呼びました。 最初にある「不安に満ちた未知の刺激」を「ベータ要素」と呼び、それが養育者からの働きかけで「ありふれた既知の刺激」に変換される。 そうした心理的な機能です。

この機能が内在化することで、やがて赤ん坊は自分で意味づけできるようになります。 大人がいなくてもパニックにならない。 アルファ機能が内在化することで「大人のイメージ」を持てるようになります。 これをビオンは「コンテナ」と呼びました。

この「コンテナ」とは「箱」のことです。

書くこと

日記や読書メモは、この「箱」を作るプロセスです。 「箱」にベータ要素を詰め込んで「棚」に置いておく。

「箱」の中身は直に触れればパニックを起こす要素です。 落ち込んだり腹が立ったりする。 これを一時「棚上げ」にする。 「箱」に入れることで距離を取るわけです。

距離を取れば「箱」をどうするか考えることができます。 「箱」を貯めるだけだと倉庫から溢れてしまうので、適宜「中身」を使うことも必要になる。 環境を変えることも手だし、そのためのツールを探すのも大事。

また時間が経つことで「中身」が変容することもある。 意味づけが変わり「箱」に別の名前を与えることもあるでしょう。 もちろん「忘れてしまうこと」もある。

「書くこと」にはアルファ機能がある。 「大人のイメージ」が取り込まれ「読者」となる。 「箱」が心に書き込まれる。 その追体験が「書くこと」にあります。

そういう意味でマッピングは「コンセプトマップ」です。 conception には「概念」とともに「妊娠」の意味もある。 うちに抱えることで何かを育むプロセスが「コンセプト」です。 「箱=子宮」の内側で「中身」が変容し成長する。 鳥が卵を温めるように。

「書くこと」はそのための時間稼ぎかもしれません。

まとめ

マッピングはいろいろ考えたけど、手描きが一番扱いやすいかなあ。 フリーライティングしたものを整理して「地図」に落とす。

でも、それが「目標」でもない。 「地図」は「現地」を歩くためにあります。 「地図」で終わりではなく、再びその「地」を歩いてみないと意味がない。

再び歩くこと。 それが次の「編集段階」だろうか。