Jazzと読書の日々

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言語ゲームはミステリーである

Beetle |600 Backlink | Photo by Henry Lai on Unsplash

物語論言語ゲームも飲み込んでみる。

言語ゲーム

「ストーリー」と「ミステリー」の違いを考えてきたけど、これの射程距離内に「言語ゲーム」もありますね。 あとから思いついて驚きました。

ときどき「言語ゲーム」を「あらかじめルールが決まっているシステム」みたいに捉えている考察を見かけるけど、たぶんそれはウィトゲンシュタインの本意ではありません。 「言語ゲーム」のターゲットは「心」です。 ルールを知らないのになぜか会話が成立する。 そういう仮説で読まないと「探究」は辻褄が合わないんじゃないかな。 「痛い」や「青い」「さみしい」といった感覚や感情をどう扱うか。

「箱の中のカブトムシ」も「心の中の痛さ」の思考実験でしょう。 誰もが箱の中にカブトムシを飼っていて、そのカブトムシの様子を言葉にし合う。 けれど、そのカブトムシは箱の外に出すことはできない。 そういう前提があります。

「私のカブトムシ」と「あなたのカブトムシ」が同じかどうか確かめるすべはない。 箱の外に出せるなら「これとそれは同じ?」という比較ができます。 でも「痛い」や「さみしい」はそうした比較ができません。 でも会話に困ることはないし、「痛い」と言われれば「痛いんだろうな」とわかる。 「心」って変ですよね。

「私の痛さはあなたにはわからない」と言ってもいいですけど、そもそもその「痛さ」がわかる方が不思議です。 それでいて「痛さ」という言葉を使うことで「本人にしかわからない痛さがある」と伝わってくる。 これが「言語ゲーム」です。

ミステリー

痛いから「痛い」と言い、「さみしい」から「さみしい」と言う。 それは普通の捉え方ですが「ヒストリー」ですよね。 心の中に「痛さ」が先に浮かんで、それを「痛い」と言葉にしている。 そんな因果関係を想定しています。 でも本当だろうか。

証拠として「脳をCTで調べると本人が痛さを意識する前に痛覚の感覚野が活性化している」と実証されたとしましょう。 でも「痛い」という言葉を覚えるとき「脳のCT」を見て学習したのではありません。 そんなデータなどなくても「痛い」という言葉を使えるようになる。 脳の中の状態が「心」なのではありません。

そもそも「痛覚の感覚野」を同定するには、被験者に「いま痛いです」と報告してもらってデータを集めないといけない。 「なるほど、ここが痛覚領域か」となるには「人はみな同じ痛みを『痛い』と呼んでいる」という前提があります。 この思い込みを疑うときに「脳のCT」は証拠となりません。

すると言葉の学習はミステリーです。 あるとき「これが痛さか」と気付き「今までのあれやそれも痛さだったんだな」となって「痛み」が使えるようになる。 現在から過去に遡って「そうだったのか」と意味づける。 ミステリーの構造をしています。

シェイプシフター

今週の『ダンジョン飯』は「シェイプシフター」。 人間に擬態する魔物の話でした。

それぞれの頭の中にある人物像をもとに幻覚を見せる。 四人組のパーティのはずが吹雪の中で16人に増えてしまって「さあ、本物はどれだろ?」という犯人探しになってます。 まさにミステリー。 どうすれば本物を見つけ出せるのか。

そして「箱の中のカブトムシ」でもある。 これがこの漫画のすごいところですね。 「箱の中からカブトムシを外に出せたなら、そのときカブトムシが何かわかるのか」という思考実験になっています。 物語だからそうした状況を描くことができます。

「想像の中のチルチャック」と「本物のチルチャック」とを並べたら、判定する人の中の「想像のチルチャック」が本物になってしまう。 「想像のセンシ」と「本物のセンシ」では「センシはいつもカッコいいだろ」となる。 実は判定できません。 この問題をどうクリアするか。

まずライオスが日頃、他人のことをぼんやり見てるヤツで良かった。 これで大幅に選択肢を減らすことができます。 ここが鍵でしたね。 ライオスがしっかりしている人間だったら、このパズルは解けていません。 明らかに他の3人から「これは違うでしょ」と言ってもらえる。 ライオスに信用がないからできる技です。

ライオスの「想像の中の仲間」を削ることで判定者にライオスが就任できます。 残りのメンバーに「ライオスが想像した仲間」はいない。 「自分が思っているイメージ」はそこにない。 すると「ああ、そうか」と発見が起こりやすくなります。

とはいえ、うまくいったかどうかわからないですね。 「本物」を選んだところで不満は出てくるから解決にならない。 結局はシェイプシフターの本体を見つけて倒す展開でした。 「どちらが正しいか」は行動観察や推論で解くことはできない。 それをあらわに示しているように思いました。

つまり「箱の中のカブトムシ」という図式には無理がある。 「心」の現実を捉えきれていない。 でも、その図式を使いながら人は「言語ゲーム」をしている。 とりあえず、普通の場合では大きな不都合は起こりません。 深く考えると破綻するけれど。

それはともかく、マルシルについて「そういう間違いは、マルシルならやりかねない」という推理は良かったな。 人工知能と人間とを見分けるポイントですね。 間違え方に個性が出る。 計算では導けない結論です。

まとめ

アニメで済んだところまでKindleが半額になってます。 通して読むと、これは複雑な話なんだな。 オルフェウス系の神話というか、冥界に連れ去られた最愛の人を救い出すために自らも冥界に降りていく。 普通食事したらこの世に戻れないはずだけど。

このタイプの神話はバッドエンドになりそうだけど大丈夫だろうか。