ここんとこ、凝っているもの。
Vision
エンピツとノート。書くものと書かれるもの。この二つの関係を考えています。 書くものはazooKeyで固定になってきました。ライブ変換も安定してきています。 問題は書かれるもののほう。ノートに当たるものをいろいろ試している。
Textwellは書かれるものとして最善ですが、まだ物足りなかった。 Visionを作って、そう思うようになりました。 「一枚の紙」としてできることはまだある。 Vision自体はそれではありません。 ということで、考えることは残っていそうです。
Visionに「文字数表示」を付けました。
Markdownの特性
Markdownは改行していても、表示のときに一行にまとめられます。 なぜこの仕様になっているのか疑問でしたが、Visionで見えてきました。 下書きが箇条書きであることを前提にしているのですね。
文章を一行ずつ書いていく。 段落にしたい場合は、空行を入れる。 この作法で元の原稿を作る。 すると完成品のプレビューが書式の整ったものになる。
まるで、アウトライナーで書くことを想定しているようです。 たぶんそんな意図はないけれど、結果として相性がいい。 箇条書きのリストが、プレビューしたとき論文のように振る舞う。 Markdownにはそんな潜在力があります。
ライン・エディタ
昔のエディタは行単位でした。 今みたいに文字単位となったのはディスプレイが発明されてからです。 それまではタイプライターのように紙にテキストを印刷していた。 その紙を見ながら「〇行目を削除せよ」「〇行目の次にこのテキストを挿入せよ」と一行ずつコマンドを送るのがエディタだった。 なので、viなど古参のエディタには行単位で編集する機能がついています。 「yy」みたいにコマンドモードで操作します。 プログラミングとはそういうもので、行番号はあって当たり前でした。
ところがディスプレイが発明され、文字単位で扱うのが一般化してくると、コマンド形式のエディタは衰退していきます。 さらに、プログラミングだけでなく「ワープロ」として使う用途も発見される。 ますます「文字」を意識するようになり、テキストエディタから行操作が消えていきます。 文字を装飾する方に関心が向かっていく。 行番号も表示されなくなります。 それが今あるエディタのスタンダードです。
Markdownはその傾向ヘの「抗い」ですね。 文字装飾は結果である。 文章を書くとは「行」を繋ぐこと。 プログラミングのように行単位でテキストを構成する。 言われてみれば確かに、Markdownの記法は行単位です。 見出しもリストも「行」の性格を表している。 行単位でテキストを考える思想が、その根底にあると思いました。
まとめ
実はこの記事も「箇条書き」で書いています。 「編集」で見ると一行ごとに改行している。 ブログではまとまった段落のふりをしていますが、 本体は「箇条書き」なのです。 この書き方をしておくと、あとで訂正しやすい。
はてなブログって意外と先端を行っていたんだな。