ありがとうございます。 自分の原点に気づくことができました。
OOUI
「オブジェクト指向ユーザーインターフェース(OOUI)」というのがプログラミングのデザインにあります。 Textwellを作った上野学さんが提唱する概念ですね。 ここから「オブジェクト指向ライティング」のヒントを得ていたことに気づきました。
インターフェースには「タスク指向」と「オブジェクト指向」があります。
タスク指向はDOSパソコンを思い浮かべるとわかりやすい。 DOSはプロンプトに「edit this.txt」みたいにコマンドを入力します。 「動詞→目的語」の語順になっている。 まず動詞(タスク)を決めてから、その目的語(オブジェクト)を指定します。
オブジェクト指向はその反対です。 今のWindowsやMacですね。 デスクトップにファイルが置かれ、そのファイルをダブルクリックすると関連付けられたアプリが開く。 「目的語→動詞」の順序になっています。 目的語(オブジェクト)が先にあるから「オブジェクト指向」なわけです。
これは英語と日本語の違いでもあります。 英語は「動詞→目的語」の語順になり、日本語は「目的語→動詞」の語順になる。 いくらルックスがオブジェクト指向になったとはいえ、メニューを開くと「新規作成/開く/検索」などの動詞が並び、ファイルを後から選ぶようになっては一貫性がありません。 また、iOSのようにホーム画面にアプリが並ぶのも、タスクを優先する英語的な語順なわけです。
DraftPadやTextwellはまずテキストを書く画面が開き、そのテキストをどうするかは後から決めるインターフェースです。 「テキスト」というオブジェクトを先に作る。 メールにするかカレンダーにするかのタスクは後で決める。 ファイル名を付ける段階も飛ばしている。 それが「オブジェクト指向」のエディタになります。
ファイル指向
英語圏の人にはタスク指向のほうが馴染みがあるのでしょう。 EvernoteにしてもNotionにしても、テキストを書くためにはまずアプリを起動してます。 アプリとはタスクでありアクションです。 「何をどうするか」の「どうする」に力点が置かれている。
Obsidianがローカル・ファイルにこだわるのはオブジェクト指向への転回になっています。 アプリのサービスが終わっても、ファイルは手許に残る。 「何を」を中心に据えている。 そのファイルは他のアプリでも開くことができます。
「ファイル」というオブジェクトを前面に出すことで、どのアプリを使うかは自由に決めることができます。 ファイル指向はオブジェクト指向になっている。
そんな新しい哲学ではありません。 UNIXのGUIが考えられた頃から綿々と続いてきた考え方です。 ファイルをオブジェクトにする。 タスクは後から決める。 それが現実世界の模倣になっている。 そうした「目的語→動詞」の世界観に裏打ちされています。
その点で国産OSのBTRONがオブジェクト指向を徹底していたと思う。 実身と仮身の区別はなにより「ファイル」に力点がありました。 ファイル自体がテキストの内容になれた。 テキストの中にファイルを置いてかまいませんでした。 テキストがファイルメニューにもなる。 Obsidianの内部リンクはその真似ごとに見えます。
まとめ
このオブジェクト指向を徹底すると、どんなエディタになるのか。 Textwellがその回答なのだと思うけど「ファイル」という概念自体が消えてしまうんですよね。 テキストがオブジェクトとして前面に出る。
それとDraftPadの頃からそうだけど、アクションを組むとき「カーソル行」をオブジェクトにできる。 カーソルのある行を対象に、アクションを後から決める。 これも画期的だったんだと後になって思いました。