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オブジェクトは客観的なのだろうか

queen of spade playing card Photo by Esteban López on Unsplash

英語でobjectiveというけど、どこがそうなんだろう?

object

objectはsubjectと対になった言葉です。 どんな関係になっているか見てみましょう。

subject object
主観 客観
主体 対象
主語 目的語
問題 目標

「いろいろな意味がある」というより、ネイティブな人にはどれも「objectっぽい」と感じるのでしょうね。

このうち「主観/客観」のペアは「ものの見方」に関わる項目であり、「主体/対象」は「関わり方」における対立関係です。 認知と行動。 それぞれに「subject/object」が振り分けられている。

基盤にあるのは「主語/目的語」でしょうか。 SVO文型のSとO。 それぞれsubjectとobjectです。 関係を表すとき二項目を立てる。 言葉の持つ性格に依存しています。

「私は青い海を見た」の場合「私」が主体で「青い海」が対象です。 そこに「主体/対象」の関係が埋め込まれます。 同時に「私」の感じているものが主観となり、「海」は客観的な存在として感知される。 「主観/客観」の割り振りも起こっている。

体験を外から見れば「主体/対象」で把握され、内から記述すれば「主観/客観」の分類がされる。 そんな関係になっています。

オブジェクト指向

オブジェクト指向ライティングでは「センテンス」を「オブジェクト」と考えました。 「文」という単位ですね。 これを対象化としようと。

物理的なライティングだと、カードに「文」を書き、それを並べ替えたりします。 カードという「オブジェクト」を使うことで、その作法を借用して「文」を扱う。 カード化することで、原稿用紙に埋めていくのとは違う側面が浮き彫りになります。 それがオブジェクト指向ライティングです。

関連するカードを集め、いくつかの山に分けると、次はこの「山」がオブジェクトになります。 スタックというか、デッキというか、そういう単位を作り出せる。 箱に入れてもいいし、封筒に入れてもいい。 今度は「山」を並べ替えることができる。

オブジェクト化の操作は「選択」と「順序」の2種類です。 ソシュールのパラディグマ(範列)とシンタグマ(連辞)。 どれを選ぶかと、話の順序を作ることの二つですね。 共時性と継時性。 オブジェクト化することで、これらの操作を導入できる。

家を建てるとき、まず土台を作り、それから柱を立て、屋根を乗せる。 こうした段取りでなければ家は作れません。 屋根から作ろうと思っても、それは無理。 屋根を支える構造がない。 文章も同じで、話の展開するための骨格があります。 それがシンタグマ。

それに対して、屋根をどうするかには選択肢がある。 瓦葺きにするのか、トタン板を張るのか。 瓦にするなら、どんな色の瓦を使うのか。 組み合わせ方に多様な可能性があるし、ある色を選択すれば他の色は排除したことになる。 文章を付け足したり削ったりすること。 それがパラディグマになります。

サブジェクト

オブジェクトを考えるとき、そこにはサブジェクトがあります。 ペアで語られるということは、片方だけで存在しないからでしょう。

このサブジェクトとは何だろうか。

単純に考えれば「文章を書いている私」を指すと思われます。 「書く主体」だから。 でも「オブジェクト化できないもの」と考えると、もう少し深い意味づけができる。 つまり「そこにありながら対象化できてないもの」がサブジェクトではないか、と。

というのも、サブジェクトには「問題」という意味もあるからです。 「主題」とか「案件」のニュアンスですね。 メールの「sub:」に「先日の件について」と書くアレです。 これはまだ対象化されていない。

対象化されるとsubjectはobjectに、つまり「目標」として明確化される。 そんな思想が隠れています。 目標が見えないうちは「問題」である、と。

subject自体は「下に投げこまれたもの」です。 アリストテレスが「基体(ヒュポケイメノン)」を「主語となって述語とならない」と定義した。 この「ヒュポケイメノン」が「下に投げ込まれたもの」という意味で、subjectは「基体」の訳語だったわけです。

哲学は「議論の前提」を疑います。 「そもそも〜とは何だろうか」と問いを立てる。 この「〜」の部分が基体です。 その議論は何を基盤にして行われているのか。

ふだんは対象化されていない。 土台の部分なので目に見えない。 オブジェクト化すると抜け落ちる。 その部分を「サブジェクト」として意識できると面白いかもしれません。

例えば「そもそも書くとは何か」とかですね。

まとめ

「客観的か」の問いに答えてないけど、何か見えてきた感じがします。

「客観的」は昔は「神様から見てどうか」の話で済んでいたけど、今の現代社会でその定義は通用しない。 そこを「対象化」で乗り切ろうとしている。

書くこと自体がオブジェクト化であり、そして何かがサブジェクトとして抜け落ちる。