Jazzと読書の日々

iPadを筆記具として使う方法を模索します

2つのモードは一つである

『チ。』。 ニコ動でやってなかったから、見てないです。

魚豊先生

アリストテレスの『詩学』を引用し「リアルとリアリティ」を説明してるけど、これすごいなあ。 istoriaとmythosを「歴史と創作」と読み替え、自分のものにしている。

従来mythosは「筋みち」と訳され、何を指すかイマイチわからないシロモノだったけど「創作」と取るのは悪くない。 「詩学」自体がpoietikesで「作り出すこと」なので、こちらが「創作」だろうし、mythosの原義は「神話」だから、古代ギリシアの人たちにとって「真実」であり「作り話」とは思っていない。 その前提を引き受けた上で、詩人の心に浮かんだ「リアリティ」をmythosと考えるのはアリだな。

現実よりもさらに心に響く「本当のこと」。 それをアリストテレスギリシア悲劇から取り出し俎上に載せようとしている。 ここに現れる二項対立は下記の通り。

  • 歴史:現実。リアルなもの。物事を時系列に沿って記録したもの。
  • 神話:真実。リアリティ。物事の本質を直観によって描いたもの。

2つのモード

この二項対立を見てみると、他でもない、最近読んできたテーマだと気づく。

  • 歴史:能動態モード。モーダル。PSポジション。迷路。リニアな世界観。
  • 神話:中動態モード。モードレス。Dポジション。迷宮。ネットな世界観。

なるほど『中動態の世界』は言語学の話じゃなく「モード」を議論してるのか。 だから國分先生の話は、言語学的に変なところがあっても構わなくて「近代に入って中動態モードが失われている」と気づけばそれでいい。

中動態モードの崩壊が加速して能動態モードが世界を覆っている。 「能動ー受動」で切り取るから「誰のせいか」と陰謀論が生まれる。 それが「科学的」と呼ばれる時代になってきています。

もっとも「能動態 vs 中動態」と見る見方が「モーダル」なんですけどね。 西洋哲学はロゴスを使って、つまりモーダルな方法論で「モードレス」を記述しようとしてきた。 「モードレス」を「物自体」と呼び替え、どうアプローチするか苦心してきた。

ということはモードレスから捉え直す方法論も可能で、それがシャーマニズムか。

往相還相

シャーマニズムから見ると事態は次のようになります。

  • 能動態モード:トナール。図。色。言葉で分節化された世界。
  • 中動態モード:ナワール。地。空。未分節な流動化する世界。

何がモーダルと違うか。 対象にしているのは同じですね。 それを言葉で「理解する」か、体験として「わかる」かの違いだから。

体験としてわかるために、この2つはプロセスとして「一つ」と見なされます。 能動態モードから中動態モードに移ることを「色即是空」と言い、再び能動態モードに戻ることを「空即是色」とする。 くるくる回る。 往還することでプロセスを止めない。 そこに「モードレス」が顕現します。

この図を使うと道元もわかりやすいなあ。 結局「物事を地から見る」が「悟り」で、そこに留まったならプロセスが死んでしまう。 ちゃんとくるくる回れ。 この苦界に戻ってこい。 それが釈迦の教えだ、ということですね。 身心脱落→脱落身心→…。

これを実践するのが「創作」なのだろう。 魚豊先生の「リアリティ」も上野さんの「モードレス」もそこにあって、物を作り出す人たちはこのプロセスを住処にしている。

で、翻って「生きること」自体が「創作」なんだから、まあ、くるくる回れ。 そういうこと。 見えている人の書くことが似たり寄ったりなのも「一つ」だからか。

まとめ

じゃあ、自分はどんな実践をするのか。 お前のリアリティは何か。