Jazzと読書の日々

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中動態モードにおける「責任」について

レンマは「逃げ」だと思う。 「朝チュン」と同じ。

中動態の世界

文庫になって「なぜ免責が引責を可能にするのか」という補遺がついたので、そこだけ読んでみました。 あ、もちろん本編は「ケアをひらく」のときに読みました。 揺さぶられるくらい感動した。

で、補遺ですけど、論の展開がおかしい。 書く時間がなかったのでしょうか。 前半・中盤・後半でバラバラな印象を受けました。

とくに最後の方ですね。 ギリシア悲劇を持ち出して「加害者でありながら被害者でもあるとはどういうことか」と悩み出す理由がわからなかった。

それって中動態だからでしょ?

「誰が被害者で、誰が加害者か」と言い出すのは「能動ー受動」の世界観です。 「AがBに悪いことをした」と因果関係で見ている。 その中でAを問題の原因とし、罪を問うのが「帰責性」です。 こちらは能動態モードの「責任」。 誰のせいか。

それに対し、中動態モードの「責任」もある。 道路に飛び出しそうな子どもの手を「危ない!」と言って引き止める。 そうした「応答可能性」としての「責任」もある。 國分先生の話はそういうことですよね。 孟子の「惻隠の情」みたいだけど、こちらは中動態でしょう、と。 ええ、そうです。

それぞれ「能動責任/中動責任」と呼び分けてみると「なぜ免責が引責を可能にするのか」はわかりやすくなります。 免責されるのは「能動責任」で、引責するのは「中動責任」だからです。 それぞれ別もの。 QED

もう少し詳細に

まず「なぜ免責が引責を可能にするのか」という問いの立て方がおかしいと思いました。 これが「免責→引責」の「原因→結果」になっていて、思考が能動態モードになっている。 だいたい能動態モードのままなら、免責されても「悪かった」とは思いません。 「ほら、俺は悪くないのだ」と開き直るだけです。 引責につながるわけがない。

引責につながるのは「当事者研究」をするからです。 当事者研究は「自分が自分を研究する」という再帰構造になっている。 自己研究が自己言及になっているので中動態モードになる。 中動態モードはコール&レスポンスの響き合いだから「レスポンシビリティ=応答可能性」が生まれる。 そういう流れです。

その中動態モードで見れば「加害者/被害者」という区分は成立しません。 「自分の動きが自分において完結する」が中動態の定義なので「主体/対象」の区別が意味をなさない。 ただただ「じゃあ、自分に何ができるだろう」の思いが生まれる。

ここまで書いてきて「おや、どこかで見たぞ」という気持ちが湧いてきました。 東畑先生が書いてたメラニー・クラインだな。 精神分析の。

これは対象関係論か

能動態モードをPS態勢、中動態モードをD態勢と見ればいいのかもしれない。 PS態勢は妄想=分裂ポジション。 赤ん坊が自分の中の不快感を母親に投影し「悪いのは乳房の方だ」と思い込むこと。 世界が「加害/被害」に分裂して、自分自身を被害者ポジションに置くことで、そこから出てこれなくなる。 そうした雨の日の状態。

対してD態勢は抑うつポジション。 少し冷静になると、いやいや世の中「良いとき」もあれば「悪いとき」もある。 一時的な気まぐれで、大事な人を傷つけてしまったかもしれない。 相手の痛みが自分の中に染みてきて「申し訳ないなあ」という気持ちになる。 それが罪責感だったかな、抑うつポジション。

たぶんキリスト教の原罪意識を理論化したものなので、日本人にも該当するか怪しいものだけど、まあ「申し訳ない」は日本人なら感じそう。 「責任」と言われて思うのはこの「申し訳ない」という感情かな。 企業のトップが「世間をお騒がせして申し訳ありませんでした」と謝罪するのには「責任を感じてない」と思うので、口に出せばいいというものじゃない。 給料を減らしたところで、中動責任になっていない。

中動態はD態勢だと思う。 PS態勢から脱出しないと移行できない。 脱出するには、その話を聞く側が中動態モードにあることだろう。 「誰が悪いのか」を棚上げする。 当事者研究をフロアで拝聴して、発表者といっしょに笑い転げる。

だから「免責すれば引責感情が生まれる」ではないのだろうな。 中動態の場を作る努力が必要なのではないでしょうか。 そこに入れば、当事者も赤の他人も中動態になれる。 その努力が陰で行われてなんぼのように思います。

たぶん、ソクラテスがやってるんじゃないかなあ。 「レンマ」と呼ばなくても、話している相手が「Aなのか非Aなのか、わからなくなっちゃいました」と笑ってしまうのは、ソクラテスが「中動態の場」を生み出すのに長けていたからではないでしょうか。

まとめ

そうそう「自己責任は責任ではない」。 断言してあってホッとしました。

追記

中島先生との対談だけど、ヒンディー語の与格構文「あなたにヒンディー語がやってきてとどまっているの?」がすごいなあ。 そこにある世界観に揺さぶられます。