Jazzと読書の日々

iPadを筆記具として使う方法を模索します

やっとアカデミック・ライティングに来た

長かった。 どうしても横書きの本は積ん読になってしまう。

アカデミック・ライティング

論文の書き方を一から再構築していく。

「なぜ初心者は論文を書けないのか」。 それを分析し、その原因を治療する算段を考える。 確かにこれは新しいタイプの「テキスト論」ですね。

対象になるのは査読論文です。 雑誌に載せるための文章はどういう構造をしているか。 しかも自然科学系ではなく、人文学系の雑誌に投稿することを想定している。 それに合わせ、日頃のレポートも構造化しようというわけ。

アーギュメント

最初に「主張=アーギュメント」を書くべし。

これは同感です。 前にも書きましたけど、論文は「要約」が肝です。 論文の最初に書く「要約」のところ、「キーワード」と並ぶ部分。 これが「マップ」になって、本文に書くべきことを方向づけてくれます。 とても大切。

読者から見ても、まず「要約」を読み、論文の概要を掴みます。 そこで興味が惹かれないと読んでもらえない。 もし興味を持っても、本文が「要約」とズレていたら、読むのを辞めてしまう。 まさに「ライティングの要」となるのが「要約」です。

この「要約」が「アーギュメント」に当たります。 全体を通して何を主張しようとしているのか。 それを最初に明確化しておく。 すると本文が書きやすい。

アーギュメントには「飛躍」があります。 「新しいものの見方」を示すのが論文の目的なので、そこだけだと「どうしてそう言えるんだ?」と読者に疑問が生じる。 その疑問を解消するために論拠を示すのが本文の役割になります。 疑問で読者のハートをキャッチして、本文を読んでもらう。

ここまでは自分でも考えていました。 ところが「じゃあ、アーギュメントはどういう形をしているのか」まで踏み込んでいるところがすごい。 SVOという英語の文型を持ち出します。 主語と目的語を明示し、その関係を示す。 これが曖昧だと論文として成立しない、と。 これは意識してなかった。

SVOは能動態です。 「蔑ろにされてきた」みたいな受動態ではありません。 SとOの二項関係が入っている。 「誰が蔑ろにしてきたか」を問いかけてます。 つまり論文とは、それまで誰も気に留めてなかった「二項関係」を発見する作法だというわけです。 だからSVOの形式に落とすことができる。

ここがとても「西洋的」だなあ、と思いました。 現象に対し責任主体を立てる。 主語を書くとはそういうことです。 日本語だと中動態で済ます部分も「神」が主語となる。 「神」が使えないなら「社会」や「進化圧力」などが主語となる。 そうした一神教的な世界観があります。 すべての現象に責任主体を立てるパラノイア的な考え方。

でも、そうでしょうね。 「査読論文」自体がヨーロッパの大学において洗練されてきたものです。 いやいや、SVOで書かねばなるまい。 大学制度が査読論文を規定してきた。 主語は「大学制度」。 このルール上でプレイされるゲームが「アカデミズム」です。

それは悪いことではありません。 ルールがなければ、この知の体系はすぐ崩壊したでしょう。 なんでもあり、になってしまう。 それは避けねばなりません。 既知の体系を前提としながら、それを部分的に刷新していく。

この「ノイラートの舟」を沈ませない工夫が査読論文なわけです。

アカデミック・リーディング

次に揺り動かされたのが「アカデミック・リーディング」。 読む技術をまず鍛える。

「書くことは読むことである」は、もう自分が書いたんじゃないかと思うくらいアグリーです。 文章を書くことは、書かれたテキストに対し自分自身が「第一読者」となることなので、この「読者」を育てないと「書くこと」もできません。 ほんと、同意見。

で、そこを展開するんですよね。 じゃあ、どう読むのがアカデミックか、と。

ここで字数を数え始めるのが凄まじい。 「落ち着くんだ、素数を数えて落ち着け」と言うくらい、斜め上からの衝撃が来ました。 それぞれのセンテンスの文字数を数える。 まさか、それがトレーニングとなるとは。

一つのアーギュメントは20個くらいのトピックで構成されている。 アーギュメントには「飛躍」があるので、それを20段階のスモールステップに分けて書くわけです。 小さな階段にして、登りやすくする。 トピック自体も「小さな飛躍」ですが、そこにサポート・センテンスの階段を付けることで論を追いかけやすくする。 そういう話です。

論文には字数制限があるので、20個のトピックに割ける文字数は機械的に求めることができます。 16000字なら、1トピックにつき800字。 テーゼを書き、その論拠を示すサポート・センテンスと合わせ800字にする。 原稿用紙2枚分。

読むときに、この構造を意識する。 そのために文字を数えるわけです。

なるほどなあ、そして、これはアウトライナー的発想だと思っていたら、Workflowyが出てきました。 本の中で、阿部先生のWorkflowyが登場。 だよなあー。 アウトライナー慣れすると、何を読んでも「アーギュメント>トピック>センテンス」の段差が見えてくるもの。

そして、トピック+センテンスで構成された「パラグラフ」は約800字。 そう逆算すると、今度は「書くこと」が簡単になります。 「16000字書く」だと一仕事だけど、「800字のパラグラフを20個書く」と考えればハードルが一挙に下がる。

16000字は原稿用紙40枚だけど、これが400枚になっても考え方は同じ。 「8000字のパラグラフを20個書く」だし、一つのパラグラフに下位パラグラフを作るだけ。 アウトライナーならイメージしやすい。

サポート・センテンス

トピックのテーゼを補完するためのサポート・センテンス。

これは「コード進行」として考えてきたことと重なるなあ。 個人的にはテキストのコード進行を、アサーションの「DESC」に喩えてきました。 客観的事実→主観的感想→具体的提案→行動の選択ですね。 英語の頭文字がDESC。

阿部先生の分類は5段階です。 レベル1が「事実」、2が「観察」、3が「解釈」で4が「抽象化」。 レベル5がアーギュメントの一部となる「テーゼ」。 ほら、ちょっとDESCと重なっている。 「主観的感想」を「観察」と「解釈」に分けた感じだろうか。

「具体的提案」が「テーゼ」に当たるので、DESCだとレベル4が扱えないかもしれません。 「感想」と「提案」をブリッジするもの。 なるほどなあ、それで文章が飛躍しすぎに見えるのかなあ。 よくよく考えてみよう。

反対にDESCのC、「行動の選択」はセンテンスのレベルに出てきません。 「あなたならどうしますか」や「どう感じましたか」と読者にコミットを呼びかけるからです。 それは査読論文には出てこない。 論文は読者に呼びかけない。

その代わり著書でならよく使われますよね。 この本でも「次の設問にあなたならどう答えますか」とコミットを誘うところが随所に現れます。 だからテーゼを超えてコミット力の高いレベルもある。 読者参加型のセンテンスも効果的に使うことが肝心です。

あと、この5つのレベルに分けて1から5へと繋いでいく方法。 「エビデンス(レベル1)だけでは論にならない」ということですね。 たしかに。 事実をいくら並べてもテーゼとは呼べない。 テーゼに仕上げるには、「観察」から「提案」に至るまで「自分」のコミットが必要になる。

そういうメッセージも含まれているように感じました。

まあ、エビデンスで地ならしできる分野は最終的に人工知能に乗っとられるし、どこに「コミット」があるか考えないと論文作成は人間の手から奪われそうだものなあ。 生成AIの文書のほうが知的に見えるときがあるもの。 ライティングが上手い。

まとめ

自分がバラバラに書いてきたことが、この本を鏡とすることで「まとまり」になっていくのを感じます。 この体験は面白いですね。

前半だけでも、いろいろ刺激されました。 後半の感想はまた別の機会に。