Jazzと読書の日々

iPadを筆記具として使う方法を模索します

これができるなら、あれもできるはず

ここ数日ブログの内容が「これができるなら、あれもできるはず」で動いています。 今気づいたのだけど。 「できる」によって駆動されている。

これを「can駆動」と呼んでみよう。

今週の振り返り

今週の動きは「コルクボート」から始まったかもしれない。 「パーツを組み合わせる」からMarkdownの根本思想になって、コラージュ・ライティングに展開しています。 書いているときは気づかなかったけど、振り返るとそういう流れになっている。

で、最終的にExcalidrawでパーツを組み合わせるスクリプトになる。

最後のスクリプトは「コルクボートの話」を書いた時点では頭にありません。 まだ思いついてなかった。 フリーボートのときもExcalidrawのことは忘れてました。 Obsidianに話が戻ってからですね。 「パーツの並べ替えならObsidian内でもできる」と思ったのだから。 そのときはまだ「できそう」くらいであって「できる」の確信ではありません。

初めはキャンバスで実験しています。 キャンバスの内容をCopilotで解析する方法を探したけど、見つからなかったので記事にしませんでした。 Excalidrawも、圧縮をはずすオプションに気づくまでは、もっと手順のかかる分析方法でした。

だから、初めに計画があったわけではない。 やってみたら「できたこと」と「できなかったこと」があり、「できたこと」の方向に進むと「できそうなこと」が視界に入り、試行錯誤してたら、やっぱり「できたこと」と「できなかったこと」があった。

その反復をしながら、当初は予定してなかったものまで「できたこと」になった感じ。

山を登るイメージかなあ。 登り始めたときはまだ「山頂までのルート」は目に見えないけど、登っていくと通れそうな道がそのときそのとき現れて、気づくとそこそこ標高の高いところまで来ている。 見晴らしに立って見下ろすと、通ってきたルートがたしかに見える。 何度も分かれ道で迷ったように思っても、振り返ると一本道になっています。

偶然だけど必然。 結局Templaterスクリプトを書く運命にあった。 自分じゃなくても良かったけど、なぜか自分がその当番に当たってしまった。 そういう「罠」にはめられた感じがします。 ああ、運の悪いことにソレに気づいた。

このあともそうなんだろうなあ。 「山頂までのルート」は、今ここの中間地点からでは見えない。 山頂は「コラージュ・ライティング」と関係ないかもしれない。 でも登ってみると「やっぱり一本道だった」という感想を抱きそうだ。

まとめ

「そうなっちゃった」としか言えない感覚。 これも中動態なのだろうか。