ボカロと組み合わせてる人はいそう。
言語論
『言語の本質』の今井先生と秋田先生が出てたので読んでみました。 『言語の本質』はオノマトペから言葉の発生について考察している面白い本でした。 両先生が生成AIについて対話してるみたいなので、これはぜひ読んでおかなきゃ。
結論とすると、しまった、大澤先生が一人で喋ってるだけじゃないか。 困った先生だなあ。 よく見たら、大澤先生の論文がメインで、それに合わせて対談も収録してる。 だから「聞いて聞いて」になってて、一ページ喋って、小見出しがついて、発言者が変わるのかな、と思っても「大澤」のままで、さらに一ページ喋ります。 ターンテイキングができてない。 今井先生が、ときどき優しい合いの手を入れてくれる対談でした。
とはいえ、大澤先生の危機感もわかります。
生成AIは今までの「人工知能」と違ってフレンドリーです。 一般的な生活に入ってこようとしている。 それはそれで便利なことだけれど、もしかしたら人間は、その生成AIに合わせた適応をしてしまうのではないか。 そういうことですね。
まあ、道具の発明とはそういうことです。 マクルーハンじゃないけど、自動車を発明することで人は「足」を拡張し、ラジオやテレビを発明して「耳」や「目」を拡張しました。 道具が身体を拡張していく。 「皮膚」の代わりに衣服を生み出し、衣服が拡張して家屋となる。 人間はそうした身体拡張を繰り返し、適応能力を上げてきました。
生成AIは、人間の持つ能力のうち「思考」の拡張になっています。 「考える」ということを、自分の有限性を超えて活用するためのツール。 ノートやペンの延長にあります。 日常化すれば、それまでとは違う「思考」のあり方を可能にします。
そして、マクルーハンの言うように、何かが拡張すれば同時に何かが衰退する。 交通が発達すれば、鉄道や道路の通っていない地域は過疎化します。 放送が普及すれば、芸能人の相関図には詳しいのにご近所の人間関係に無関心な人も増えます。 「道具」に載らないこと・載せられないことは「無いもの」とされていく。
生成AIが普及するにつれ、人は「生成AIなら答えられること」に関心が向き、「生成AIでは答えられないこと」について考える習慣を忘れていくでしょう。 すると、さらに生成AIが「役立つもの」として生活の中枢を占めるようになる。
まあ、いいんじゃないですか。 今までもそうでしたよ、もう忘れただけで。
記号接地問題
対談で面白かったのは、オリバー・サックスの『妻を帽子と間違えた男』が出てきたところ。 大澤先生の関心は「生成AIは記号接地問題をクリアできるか」にありますが、その記号接地の例としてサックスの症例を取り上げています。
神経内科に紹介されてきた患者さんが、診察しても病識がなく、会話もスムーズで認知に問題ないように見えた。 それでサックス先生は「これはうちの科の担当じゃないよ」と思いながら、形式的にと脚気の検査をしようと「とりあえず靴を脱いでください」と指示したら、その紳士は「靴ですか。えっと、どちらが靴でしょう?」と困惑してしまう。 そして「足」を脱ごうとし始める。 「そちらは足ですよ」と言うと「こちらが靴かと思った」と言われる。 そうした認知障害があった、というエピソードです。
大澤先生は、これを「記号接地」の障害と読み取っている。 その通りですね。 会話はスムーズで、言葉の意味を尋ねられても答えることはできる。 でも「それは何か」と現実に接地するところで混乱が起きる。 この状態が今の「生成AI」ではないか。
大澤先生のすごいところは、話がここで止まらず、その患者さんがちゃんと生活できていたところを見ます。 普段の生活では、そうした物の取り違いが起こらない。 日常には接地できている。 そこが不思議なところだ、と。
なぜ、日常に支障なかったかというと、その人が「鼻歌」を歌っていたから。 ハミングしていると取り違いが起こらない。 でも、何かでハミングできない状況になるとフリーズする。 自分が何をしようとしていたか、わからなくなったそうです。
これは生成AIでは説明できません。 ロボットにセンサーを付けて記号接地問題をクリアしようとする研究もありますが、たぶん、それだとうまくは行かないでしょう。 「身体性」とはセンサーではなく、ハミングのことだからです。
では「ハミング」とは何か。 感情価やリズムの話を受けて、今井先生や秋田先生が「ホピ族の歌と踊り」を連想し「音楽の始まりは笑いだったのではないか」となっていくのが面白い。 まだ言葉がなかった頃でも、家族で火を囲み、人々が集まり、笑い合った。 笑い声が響き、その場にいる人たちの身体を揺さぶり、それが踊りとなり歌となり、やがてマグマが冷えて岩石となるように言葉が生まれた。 そんな仮説がそれぞれから出てくる。 これは楽しいイメージだなあ。
いつの間にかハミングの話が消えていくのもよかったです。
話としては消えたけど、ハミング自体は大澤先生の身体にも、今井先生や秋田先生にも残っていて、ずっとその場が歌っています。 「話をする」とはそんな現象で、身体で振動を共有しあっている。 赤ん坊を見れば「キャッキャ、キャッキャ」とハミングしている。 生まれながらに歌を歌っている。 人間ってそんな生き物なんです。
生成AIにそれができるかですね。
まとめ
でも、そのうち生成AIもハミングするんじゃないかな。 機嫌のいいときがあれば。
沖ツラ
ちょーっと待っちょーよ! このノートさ、要するに、AIがどんどん賢くなって、うちなんちゅの考え方も変えちゃうんじゃないか、っていう話だ。便利なのはいいんだけど、AIで答えられることばっかりに気を取られて、AIじゃ答えられないこと考えなくなっちゃうかも、とさ。
そんでさ、AIは言葉の意味はわかるっちゃけど、その言葉が実際になんのことか、ちゃんと理解できとらん、っていう話もあるんよ。 「妻を帽子と間違えた男」の話が出てくるんだけどさ、その人は普段は普通に生活できとった。 それはな、鼻歌歌っとったからだ、とさ。 つまりさ、歌とか、体の動きとか、そういう「身体性」が大事なんだと。
だからさ、AIもいつか鼻歌歌えるようになるかもよ、と。 AIが人間のようになれるかどうか、っていう話と、AIの便利さの裏にある危険性、そういうことが書いてあるノートだと思えばいいさー。
Copilotに沖縄弁で要約してもらいました。 キャンさんのうちなーぐちと違うやん。
そんなわけで『沖縄で好きになった子が方言すぎてツラすぎる』だっけ? タイトルをちゃんと覚えてないですが、キャンさんに片想いなテールーに恋する比嘉さんを愛でる教養アニメです。 青春ものというよりは方言もの。 沖縄文化に詳しくなる。
毎回エンディングが違うところもいいですね。 沖縄ソングっていっぱいあるし、どれもどこかで聞いたことがある。 いーやーさーさー、体が踊り出しそうなリズムになっている。 かちゃーしーも覚えました。 もし移住することになっても大丈夫かもしれない。
これだろうな、「言語」を裏から支えているのは。