すべては箱メタファーでできている。
見出しブロック
行が集まって段落となり、段落が集まって見出しブロックとなる。 この見出しブロックが集まるとノートになりますね。 箱が集まって、さらに大きな箱に収められる。 そうした階層構造をOnsidianは持っています。
ではノートが集まると何になるか。
これ、考えるまでもありませんでした。 「フォルダ」になります。 フォルダ名をラベルにした箱になる。 どこまでも「箱を収める箱」のメタファーが続きます。
これが「パソコン」の根底にある思想なのでしょう。 メモリー上にデータを保存して、それへのラベルをつけておく。 ラベルを操作することで間接的にデータを扱う。 プログラムの「変数」ですね。 「a = 3」としておいて、a を演算に使う。 変数 a が「箱のラベル」になっているわけです。
これが「シニフィアン/シニフィエ」だろうな。 「ラベル/中身」の関係。 それは恣意的な関係で、決してラベルが中身を表すと限らない。 むしろ中身が柔軟に入れ替わり、そのたびラベルの「意味」が変容する。
人間の思考が「分類」を基盤に置いているからでしょう。 「これは A で、こちらは B」と分類する。 「食べられるもの/食べられないもの」に分けるのは原初の死活問題であり、 「燃えるゴミ/燃えないゴミ」に分別するのは現代の環境問題です。 分類が知識として蓄積し、共同体の共通理解を作る。
これがそのまま「Aか、Bか」の二項対立を産む。 思考が分類であるなら必然です。 どちらのカテゴリーに属するか。 分けると分かる。 「考える」は二項対立をモデルにしている。 食べられるものか、食べられないものか。 動物なら本能や直観を頼りに判断することを、 人間は知識や推論で解決しようとする。
そこに無理が入ってくるのでしょうね。 ナマコを食べる人が現れたりする。
フォルダの構成
Obsidianのフォルダは上記のようになっています。
基本は Inbox で、ブログのアイデアとかはここに書いて、 場合によってはそのまま記事に仕上げます。 Inboxの中で、何かテーマが見えてきたら、 それを集めたフォルダを作って「下書き」に入れてますが、 そんなに多くないです。 ちょっと気分的なもの。
Journalsはデイリーノート。 Thinoを介して管理しています。 日記とタスクとネタ帳かな。 この3つを兼ねている。
ClippingsはWebクリップですね。 Obsidian Web Clipperで切り取った資料が集まっている。 サイトの記事もあるし、Kindleハイライトのデータもここです。
あとのdataviewとかTemplateはプラグイン用。 copilotやcanvasも似たようなものですね。 プラグインがあるから必要となるフォルダで、 必須というわけではない。
となると、基本構成は3つだけ。
チラッと思ったのが仏教の「五蘊」かな。 意識しているわけじゃないけど、 こうした分類のとき便利だったりする。
- 色:物質のこと。生データのニュアンスで assetsフォルダが担当。
- 受:入力のこと。これはClippingsフォルダかな。
- 想:思考や想像。Inboxに書いている「妄想」の類い。
- 行:意志や行動。出力のログということでJournalsフォルダ。
- 識:言葉のネットワーク。2Hop Links用のkeywordフォルダか。
「識」はグラフビューであってフォルダじゃないかもしれない。 「色受想行」の心身活動によって生成しながら、 「色受想行」の活動を制御している。 少し他のものとレベルが違うように思います。 だから唯識論なんてものが出てくるわけだし。
これもまた「分類」であって、この分類が正しいかどうかはなく、 とりあえず分類しないと人には認識できない。 現実はカオスだけど、それを見るにはフィルタが要る。 あくまでもフィルタは仮見出しである。 それを心得ながら、仮見出しに騙されないようにする。 そうした塩梅でしょうか。
まとめ
フォルダの分類論は「箱」の分類でもあるので、 そのまま段落や見出しブロックに適用できるんじゃないか。 あるいは、文章とフォルダとでは異なる原理が働くのか。
そこあたり気になります。