いやあ、面白かった。 これは自分の言葉でまとめておこう。
段落とは「箱」である
段落を「箱」として見立ててみる。 段落とは字下げで始まり改行で終わる、文の集まりです。 これはそのまま、意味のまとまりにもなっている。
「意味」を収める「形」という面から考えると、 段落には段落間構造と段落内構造の2つの側面があります。 段落間構造は「箱をどういう順番に並べるか」ですね。 段落内構造は「文をどういう順番に並べるか」です。 どちらも並び順の話になる。
- 段落間構造:箱の外側はどうなっているか
- 段落内構造:箱の中身はどうなっているか
この並び順は「主題→支持→結論」の順になります。 まず主題部分で「筆者の主張」を書き、 支持部分でその主題をサポートする論拠を並べ、 最後に結論として主題を繰り返し「主張」を確認する。 段落の並びも文の並びも同じ原則が貫かれています。
文章全体はフラクタルな構造をしているわけです。 これがパラグラフ・ライティングの基本形。 読むときも書くときも、この構造を意識すると、 相手に自分の「主張」を伝えやすくなる。 そんな「お約束ごと」になっています。
ただ日常に書く文章はそこまできっちりしていません。 とくに日本語では主題文が省略されることも多い。 代わりに「こんなテーマについて話します」という話題文で始め、 自分の「主張」を示す中心文は結論部分に置く。 読みやすさの工夫として、そうした構造になることもあります。
そうは言っても、まずは基本形。 「主題→支持→結論」を押さえましょう。
主題文は小見出しである
主題部分は「筆者の主張」が収まっている箱です。
文章の最初で「何を伝えたいか」を明言する。 最初の段落はそうした機能を担っています。 読者はそれを読んで「この文章を読むかどうか」を判断します。 「そう言えるのはなぜだろうか」と興味が惹かれる。 そうした「箱」が最初に置かれます。
段落内を見ても、最初の文でその段落の意図を明らかにします。 この段落は何のために書かれているか。 読者にあらかじめ内容の予告をする。
難しい話じゃなくて、主題部分は「小見出し」を兼ねているわけです。 「箱」に喩えると、 その箱に貼ってある「冬用衣服」とか「カセットテープ」とかのラベルが 主題文に当たります。 それを見れば、中身が何かわかりやすい。
なので、主題文だけ先に書くこともできます。 というか、まず書きたいことの要約を書き、 それを句読点で改行した箇条書きに変換してみると、 その一行ずつが主題文になります。 (この記事もその方法で書いてます)。
アウトライナーではお馴染みの方法で、 要約を分割して骨組みにする。 それぞれが主題文になるので、 これに支持文を付け足すと「文章」が出来上がります。
石黒先生は「鳥の目」と表現していましたが、 文章の全体像を見失わないようにする工夫。 もちろん、書いているうちにこの構造は崩れて構いません。 仮留めのためのアウトラインです。 これがあると、それぞれの段落に集中しやすくなります。
支持文は5タイプある
主題文を並べただけでもOKですが、 読者を置いてけぼりにしてしまうかもしれない。 主題文をサポートする論拠を示し「段落」へと仕上げます。
そのための支持文ですが、 『段落論』では5つに分類されていて参考になりました。 説明・例示・理由・経緯・場面の5タイプです。
- 説明:what。それが何であるか詳しく定義します。
- 例示:how。具体的にはどういうことか例を挙げます。
- 理由:why。なぜそうするのか原因や目的を書きます。
- 経緯:when。今までの時間的な流れを示します。
- 場面:where。そのときの空間的な状況を描きます。
個人的には what, how, why は意識してたのですが、 なるほど、あと2つあったか。 これは発見でした。 時間と空間ですね。 これも主題を明確化するために欠かせません。
支持文は、このどれかを書くことで「段落」を構成します。 説明を書いたら改行し、例示を書いたらまた改行する。 それぞれ「説明の箱」や「例示の箱」という段落になる。
5つ全部を書く必要はなくて、 主題を補強するのに必要な支持文を適宜選択する感じ。 段落ごとに割り当てることができる文字数も、 論文とかなら自動的に制限されてしまうし。 その範囲で支持文を選んでいく。
結論文は提案である
そして結論文で段落を閉める。 結論文は、主題文と支持文を押さえたうえで、 もう一度その段落の主題を確認することです。 「ここまでをまとめると」の気持ちで、 読者と理解を共有する。 そのための文章です。
石黒先生によると、これにも3つのタイプがあります。 解釈・評価・予告。 この3つ。
- 解釈:「〜ではないだろうか」
- 評価:「〜すべきではないか」
- 予告:「次に〜してみたい」
筆者の「個人的な主張」が前面に出てくる。 アサーティブネスで考えると結論文は「具体的提案」に当たります。 というか、パラグラフ・ライティングはアサーティブと順番が逆転していて 「個人的感想→客観的事実→具体的提案」になってますね。 いま気づきましたけど。 それが「主題文→支持文→結論文」となっている。
個人的感想が「主張=アーギュメント」として最初に置かれるので、 アサーティブだと「攻撃的」と見なされる。 あまり推奨できることではありません。 読者と共有できる事実を支持文として「後ろ」にしているけど、 これは論敵を刺激する語法だなあ。
ともかく、結論文が「具体的提案」となっている。 「自分としてはこう思うけど、あなたはどう思いますか」 と読者に参加を求めています。 その方法に「解釈・評価・予告」がある。 認知を改めるか、行動を改めるか、判断を先延ばしするか。
以前に「改行は相槌である」と書いたことがありますが、 この結論文がまさにそのものですね。 読者に提案を投げかけ、その返事を待っている。 そこが「段落の切れ目」になります。 対話ならターン・テイキングが入るところ。
同時にそれは、自分自身も「箱の外」に出る機会になる。 段落という箱が閉じられ「提案」が自問として残る。 余韻が響く。 「こうは書いたが本当にそうだろうか」。
そこに、アウトラインになかった新しい「箱」が見つかります。 どんどん流れは逸れ始めていく。 この流れを見極めるには「魚の目」を習得しないと立ちいかない。
まとめ
もちろん、元ネタが坂口安吾の『堕落論』なのは気づきました。 これ、web時代に向けた文章論を目指していますね。 その前に「今まで」を葬らねばならない。 でも日本に構造化のための文章論がないから、 石黒先生が自分で書かないといけなかった。
なので今月出た『文章技術』が本命かな。