Jazzと読書の日々

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メダリストは令和のガラスの仮面である

ニコニコで第4話まで見ました。 毎回泣くわ。

メダリスト

今期の覇権は決まったようなもんです。 また米津ですね。 厄介ファンすぎて自らOPの作曲を買って出たという。 OPアニメも歌詞が先にあって、それに合わせて作られたのが見て取れます。 イントロから引き込まれる。

でも米津が惚れ込むのもわかる。 これは少女漫画の王道です。 なんの取り柄もない女の子が、優秀な指導者に見出され、隠された才能を開花させる。 お嬢様なライバルが立ちふさがり、主人公はその試練を乗り越えていく。

ガラスの仮面」や「エースをねらえ」の系列です。 スポ根だけど少女漫画。 内面の葛藤が饒舌なポエムで語られる。 「今まで何度も転んだことを美しさで隠し切って」。

こんなの、応援したくなるじゃないですか。

どこが令和か

でも王道だけでは今の人たちを惹きつけられません。 老爺老婆が盛り上がってもアニメ化には漕ぎ着けない。 だから、現代ならではの仕掛けも隠れています。

そういう目で見ると、司先生ですね。 彼には月影先生や宗方コーチのようなカリスマ性がない。 指導者としてまだ見習いです。 コーチとしての実績がないし、そもそもアイスダンスだからフィギュアに詳しいわけでもない。 熱血だからといって「あなたを優勝させてみせる」に根拠がない。 とても頼りないところがあります。

昭和みたいなスパルタも流行りません。 テンポ良く練習シーンはカットされ、大会が続く。 長所を見つけて、そこを言語化する。 司先生はポジティブで明るく、イノリの気持ちに寄り添って指導する。 これは無口でむっつりな宗方コーチにはムリです。 「岡に5000億点あげたい」とは決して言いません。 言ったら気持ち悪い。

もちろん、気持ちに寄り添うだけでは「教育」になりません。 気持ちを考えると「お母さん」になります。 献身的だけど、娘を傷つけたくない。 上の子でフィギュアの厳しさを知ったので、この子には辛い思いはさせたくない。 先回りして、心配して、スケートを諦めさせようとする「イノリのお母さん」になってしまいます。

だから、司先生はときどき突き放すように「あなた」と呼びかける。 「俺の意思を読もうとしちゃだめだ」と言い切る。 大事なことですね。 「全部失敗してもいい。俺が一から教え直す」と覚悟を決めています。 それなら、月影先生や宗方コーチもきっと同じことを言います。 それが「コーチ」という立場です。

「お母さん」が悪いわけではありません。 子どもを見守る「大人」には二つの心があって葛藤している。 それを「お母さん」と「司先生」に分配して、対話させることで葛藤を表現している。 これは物語の常套手段です。

葛藤を分配する

物語だけではないかな。 日常場面でも葛藤は生まれます。

誰かが葛藤のA面を担当すれば、その場にいる別の誰かがB面を演じる。 内的な葛藤を外的な対話に変換し、その後の道筋を探る。 それが「大人」のあり方です。 本来の意味での「弁証法」です。 AかBかのどちらかが「正答」なのではない。

司先生が「コーチ」に徹することができるのは、実は瞳先生が裏方に回ってくれているのもありそうですね。 スケート教室の運営にも葛藤があって、それを二人で分担している。 だいたい一人の選手にコーチが掛っきりになっていたら、他の保護者が不満を言いますよ。 「あんな子より、うちの子を見てほしいわ」とお母さんたちは思います。 で、瞳先生が司先生の代わりに胃が痛くなる。 これも大事かもしれません。

あと令和らしいのが、出てくるライバルたちが「大人なんか気にしなくていいわ」と冷めているところ。 「大人」の価値が失墜している。 自己責任を内面化して、成功している子どもたち。 氷上に残るのはそうした「強い子たち」です。

小心な大人たちは、そうした野心のある子どもたちの足を引っ張ってきます。 「小さく満足しなさい」とメタ・メッセージを浴びせてくる。 「もっと自分として輝きたい」という思いを踏み躙って、外野から心無い言葉を投げかけてきます。

それに対して「こうすればいい」という答えはない。 だから、今後いろいろな「コーチ」が現れるでしょうね。 ここにも今の時代の「葛藤」がある。

「コーチとはどうあるべきか」を幾通りも見せてもらえそうです。 ヒカルのコーチがなんか人格破綻者みたいな登場をしたけど、たぶん選手を育て上げる実力はあるのでしょう。 でないとヒカルは「ノービスの女王」になれない。 ミケのコーチの那智先生も、彼女なりに「大人はどうあるべきか」を実践してるし。 そこも見応えになっている。

そう考えると、この物語のテーマは「大人」かもしれない。 司先生はまだ「大人」として駆け出しで、これから出会うコーチたちとの衝突の中で自分の「内なる大人」を育てていく。 月影先生や宗方コーチのような「完成品としての大人モデル」は今の時代にはおらず、「子どもと一緒に成長する大人」がいるだけかもしれません。

とすると「成長を諦めた大人」が鏡として出てくるはずなので、それが「ヒカルのコーチ」なのだろうか。 OPの氷の上と下で入れ替わっているのが暗喩だろうなあ。

まとめ

それはそれとして名港杯。 今回前半だったけど、イノリがミケより先に滑ったのが「先攻は負けフラグ」な気がして、ああ、名港杯後半が心配だわ。

テレビでは放送、終わってるの?