Jazzと読書の日々

iPadを筆記具として使う方法を模索します

冬至祭りはどこに行ったのだろうか

アースダイバー 神社編
中沢 新一
人気シリーズ「アースダイバー」が、いよいよその関心の中心である、神社を取り上げます。生命にとっての普遍的聖地に加えて、ホモサピエンス・サピエンスにとっての聖地、そして古代の日本列島に居住した縄文系と弥生系(倭人系)にとっての聖地(のちの神社)の心的・歴史的な構造を探っていきます。主な取扱い神社は、以下の通りです。大日霊貴神社(鹿角大日堂) 諏訪大社 三輪神社 出雲大社 和多都見(海神)神社 志賀海神社 穂高神社 伊勢神宮などなど神社に残された祭儀に秘められた思考を遡っていくと、アメリカ先住民、アジアの少数民族、ネパール、東南アジアなどとの深いつながりが明らかになります。また、同時にこの列島に数万年にわたって繰り広げられてきた、われわれの祖先の前宗教的・宗教的思考の根源とその展開が解明されていきます。山とは、海とは、蛇とは、太陽とは……。歴史の無意識の奥にしまいこまれた記憶を甦らせる魂の冒険へ、いざ。目次プロローグ 聖地の起源第一部 聖地の三つの層第一章 前宗教から宗教へ第二章 縄文原論第三章 弥生人神道第二部 縄文系神社第四章 大日霊貴神社(鹿角大日堂)東北の続縄文 地名起源伝説太陽神の聖地に建つ大日堂第五章 諏訪大社縄文の「王国」 蛇から王へ御柱祭りの意味第六章 出雲大社蛇 タマ神話の建築第七章 三輪神社ナラの原像 血と酒の蛇蛇と鑑の確執第三部 海民系神社第八章 対馬神道はじまりの島 ムスビの神渚の神話学第九章 アヅミ族の足跡海の民の末裔 日本海ルート太平洋ルート 第十章 伊勢湾の海民たち太陽の道 海人と鳥エピローグ 伊勢神宮と新層の形成

お祭りの話が多いのですが、お祭りは夏至冬至が中心になります。太陽のバランスが悪いから、太陽の勢いを削いだり活性化したりする。そういうニュアンスがある。

お正月は冬至の祭りの延長にあります。というか、昔の日本は旧暦だから、お正月は節分の翌日です。豆まきのあとお雑煮を食べる。その流れが自然。明治に太陽暦を採用したため、冬至祭りとお正月が合体してしまい、元の姿がわからなくなりました。

冬室

冬至の祭りは、どうやら冬に向けて新しい家を作る風習があったらしい。冬室と呼ばれ、地面に穴を掘り、真ん中に囲炉裏を置きます。竪穴式住居です。風が防がれて、熱気も逃げにくい。そういう住居を作り、冬の3か月はそこで過ごしたようです。動物たちが洞穴で冬眠するわけだし、人間も住まいを変える。日本家屋は基本夏向きですからね。夏冬で住処を棲み分けるのは理にかなっています。

年末の大掃除はその名残りでしょう。新しい家を作る。その家に精霊が訪れ祝福してくれる。それがお正月です。天岩戸神話はそこを描いている。精霊たちは太陽の化身なので赤い顔をしています。日吉神社のようにサルがシンボルとなることもありますが、赤鬼の姿も多いです。節分の鬼もナマハゲもその末裔でしょう。子どもたちが各家にお菓子を配って歩く風習もあるみたいです。ハロウィーンの反対版ですね。

クリスマス

ヨーロッパ古層の異人たち―祝祭と信仰
芳賀 日出男
内容(「BOOK」データベースより)太陽の誕生日はイエス・キリストの誕生日に、ゲルマンやケルトの神がみはサンタクロースに取って代わられた。キリスト教の衣裳を剥がすと、在来の習俗や信仰が、いまも残っていることが次第に見えてくる。貴重な写真多数掲載。内容(「MARC」データベースより)太陽の誕生日はイエス・キリストの誕生日に、ゲルマンやケルトの神々はサンタクロースに取って代わられた。キリスト教の衣装を剥がすことで見えてくる、在来の習俗や信仰の姿を活写する。著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)芳賀/日出男1921年、大連に生まれる。慶応義塾大学文学部卒業、専攻は中国文学。卒業後、海軍の偵察機に乗り、写真を撮る。戦後、奄美大島が日本に復帰して2年目の1955年から57年にかけて、日本民俗学会日本民族学会など九つの学会が「九学会連合」を組織、奄美諸島の共同学術調査をおこなった際に写真家として参加。1957年に平凡社より『田の神』を上梓、世界の祭りや信仰行事に関する本は二十数冊を数える。おとずれた国は101ヵ国。現在、日本写真家協会名誉会員、副会長時代は、写真の著作権改正に尽力した。1989年紫綬褒章を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

クリスマスも冬至祭りです。イエス魚座です。12月生まれではありません。北欧では森の精霊たちが家々を来訪する。家庭事情は調査済みで、悪い子にはお仕置きを、いい子にはご褒美を。サンタクロースの赤い服も太陽の化身だからです。

日本でクリスマスが広まったのは戦後だろうと思います。戦前の農村社会はお正月の準備が忙しく、他の冬至祭りを受け入れる余地がありません。戦後、急速な工業化の中で人々が都会で働くようになり「家」が「生まれた家」と「今暮らしている家」に二重化する。「正月は実家に帰省する」という習慣が生まれる。

都会に出て工場で働き結婚し子供ができた。お正月は生家の方の冬至祭り。自分の家族の冬至祭りとして「クリスマス」が流用された。だから教会のミサに出席するわけではなく、家族で過ごすためのイベントとして構築されている。日本人が多宗教なわけではありません。ただ家が二重化して、冬至祭りも二回行なうだけのことです。

平成以降

若者殺しの時代 (講談社現代新書)
堀井 憲一郎
内容紹介ずんずん調査のホリイ博士が80年代と対峙。クリスマス・ファシズムの勃興、回転ベッドの衰退、浮遊する月9ドラマ、宮崎勤事件、バブル絶頂期の「一杯のかけそば」騒動……あの時なにが葬られたのか? (講談社現代新書)ずんずん調査のホリイ博士が80年代と対峙。クリスマス・ファシズムの勃興、回転ベッドの衰退、浮遊する月9ドラマ、宮崎勤事件、バブル絶頂期の「一杯のかけそば」騒動……あの時なにが葬られたのか?出版社からのコメントずんずん調査のホリイ博士が80年代と対峙クリスマス・ファシズムの勃興、回転ベッドの衰退、浮遊する月9ドラマ、宮崎勤事件、バブル絶頂期の「一杯のかけそば」騒動……あの時なにが葬られたのか?内容(「BOOK」データベースより)クリスマスが恋人たちのものになったのは1983年からだ。そしてそれは同時に、若者から金をまきあげようと、日本の社会が動きだす時期でもある。「若者」というカテゴリーを社会が認め、そこに資本を投じ、その資本を回収するために「若者はこうすべきだ」という情報を流し、若い人の行動を誘導しはじめる時期なのである。若い人たちにとって、大きな曲がり角が1983年にあった―80年代に謎あり!ずんずん調べてつきとめた。著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)堀井/憲一郎1958年生まれ。京都市出身。コラムニスト。週刊文春にて「ホリイのずんずん調査」を連載中。TVウォッチャーとして、テレビ・ラジオにときどき出演(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)

家庭行事だったクリスマスが恋人たちのものになったのは平成から。女性向け雑誌で大キャンペーンが張られた。男性向けではないところが渋いところです。男性はフライドチキンを食べていれば満足なのでターゲットにならない。農村社会が崩壊し、工業地帯が「故郷」となった若者の冬至祭りは「お正月」で十分になった。それでクリスマスの再定義が行われたのでしょう。誰の冬至祭りか、と。

平成に入って「家族」が崩壊したのかもしれません。テレビは一家に一台、電話も一家に一台。それが、個人ごとにテレビを持ち携帯電話を持ち自動車を持ち食事もバラバラにとる。家族が共有するものが無くなっていく。そういう時代に突入する。

家族を分断すると消費が増えます。それがバブル期の「内需拡大」の正体でした。そして家族の祭りも分断する。それが「平成のクリスマス」なのでしょう。不思議なことに、日本のクリスマスソングはこの頃のものしかありません。「恋人がサンタクロース」は1980年に現れたコンセプトです。でも流行したのは平成になってから。誰もがクリスマス=ラブソングを歌い始めた。平成10年まででしょうか。

最近のアーティストはクリスマスを歌いません。もちろん、お正月も歌わない。うーん、ここあたりはどうなっているんだろう。まあ、仕事が入ってたりするものなあ。そもそも祭り自体が解体してしまったか。