Jazzと読書の日々

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節分の鬼はなぜ赤鬼なのか

節分はもともと宮中で行われた行事で「追儺(ついな)」と呼ばれてました。

節分は「年の節目」なので大晦日から正月にかけての行事です。 邪気を追い払い、新しい年を神聖な気持ちで迎えるもの。

と、思うじゃないですか。

トシドン

正月は歳神を家に招き入れる行事です。 門松は神の依り代で、鏡餅は歳神の座る場所。 幸せをもたらす歳神を屋内に留めることで一年の幸せを約束してもらう。

この歳神ですが、九州南部ではトシドンと呼ばれています。 はい、この方が赤鬼。

真っ赤な顔に長い鼻をし、樹木の葉で身体が覆われている。 植物神ですが、同時に太陽の擬人化です。 冬至が過ぎ、太陽の力が落ちてしまった季節に、村に招いてご馳走を振る舞い、再び神にMPを取り戻してもらう。 楽しい夜を過ごしたトシドンは、返礼として餅を配り、山に帰っていきます。 これが「お年玉」の始まり。

たぶん沖縄の豊年祭に現れるアタマタ・クロマタの系列だろうと思います。 遠く彼方の異郷ニライカナイから訪れるマレビト。 それが本土では霊山に住む山の神に変わっていった。 東北のナマハゲも同じですよね。 怠け者の子どもを厳しく叱り付けるものの、最後はその子の良いところを褒めてから帰っていきます。 これもまた大晦日の行事。

すると「追儺」だけが「鬼やらい」ではありません。 日本古来の「トシドン信仰」もそこに重なっています。 ただ土着の神様は、舶来好きな宮中では「赤鬼」にされてしまった。 「迎え入れるもの」から「追い払うもの」に立場を逆転しています。

歳徳神

トシドンが「鬼」になってしまったら、歳神はどうするんでしょう? 宮中御用達の陰陽道で歳神は女性に替わります。 牛頭天王の妃とされる歳徳神が正月の祭神になります。

この歳徳神には8人の子どもがいて、それぞれ惑星を司っています。 なので、いつも住居を変えているのですが、とくに母親の歳徳神が住む方角を「恵方」と呼びます。 そう、恵方巻きとはこの方角のこと。 家には来てくれないんですよ。

鏡餅は、牛頭天王が倒した巨旦大王の肉とされています。 牛頭天王スサノオと同一視されるので「巨旦大王の肉」とはスサノオが殺したオオゲツヒメを指すんじゃないかな。 オオゲツヒメの死体からは蚕と稲、小豆、大豆などが生えてくる。 追儺式自体に豆はないので、豆まきの起源はここあたりにありそうです。 陰陽道牛頭天王信仰を取り込むときに、スサノオとの習合が行われ、豆に霊力を付した。 そんな可能性があります。

この牛頭天王ですが、個人的には当時の中国で流行した景教じゃないかと疑っています。 景教とはキリスト教ネストリウス派のこと。 牛頭は「God」じゃないかと。 牛頭天王の神社は「祇園社」ですが、それが「八坂」と呼ばれるのも「耶蘇=キリスト」から来てるんじゃないかと思うし、蘇民将来がねえ。

蘇民祭

蘇民将来とは、貧相な身なりの旅人をお金持ちは泊めてくれなかったのを、心優しい蘇民という若者が家に招き入れ介抱した。 そしたら、その旅人が急に姿を変え「私は牛頭天王である。どんな疫病が流行ることがあっても、お前の子孫たちに害が及ばないようにしよう」と誓ってくれた。 そうした逸話が「風土記」に載っています。

これが新約聖書でイエスが語った「金持ちとラザロの譬え話」に似てるんです。 まあ、イエスの譬え話って法華経にも似てるから元ネタがあるんでしょうけど。 金持ちは貧しい者を追い出して不幸になるけど、見ず知らずの他人にも優しい者はいつか救われる。 しかもそうした宗教話はいつも感染症に絡んでいる。

岩手に蘇民祭という奇祭があって千年を超える伝統を持っています。 夜中に全裸の男たちが護符の入った「蘇民袋」を奪い合い、バラバラに引き裂いてしまう。 袋の切れ端を手に入れればその年の豊作を約束されます。 これもお正月の行事ですね。

この「蘇民袋」はオオゲツヒメではないだろうか。 豊穣の女神を殺害し、その身体を切り裂くことで、大地が祝福される。

縄文時代土偶が常に破壊された状態で見つかるのも、もとは人身御供の風習があり、それを人形に置き換えることで「土偶」になったという説があります。 カオスを分節化することで無力化し、コントロール可能なモノに変容する。 自然は恐ろしいですからね。 人が対等な立場に立つには対価を払う必要がある。

地面に撒かれる「節分の豆」も、もとはオオゲツヒメでないかと思うんです。

まとめ

豆まき、実はスプラッター