Jazzと読書の日々

iPadを筆記具として使う方法を模索します

エディタとは書くことである

次世代のエディタに望むこと。

豆腐は白い、白いはウサギ

エディタはやっぱり「自転車」だとなったところで、 その本質は「紙に筆で認めていた時代」から変わらないはず。 まず本質からアプローチしないとなあ、と思ったので、 アウトラインにしてみました。

とりあえず、下記のような感じ。

  • エディタとは書くことである
    • 書くとは考えることである
    • 考えるとは自分と対話することである
    • 自分との対話とは頭と身体の交流である
      • 頭とは知識である
        • 知識とは他者に学ぶことである
      • 身体とは知恵である
        • 知恵とは生活に接地することである

このように展開すると、 エディタには2つの側面があります。 「他者に学ぶこと」と「生活に接地すること」。 この2つが実際のエディタには組み込まれているはず。

知識と知恵が相互作用する場にどうすればエディタがなれるか。 改良するとすれば、どんな工夫が考えられるか。 そうしたあたりですね。

ステノノート

知識と知恵。 その2つを交流させるとき、 紙のノートなら真ん中に縦線を引きます。 左側にフィールドワークで聞き取ったことを記録し、 右側に自分が感じたこと・考えたことを書く。 そんなフィールドノートを作ります。

Kindleに喩えれば、 知識の部分は「ハイライト」かな。 線を引く。 知恵の部分は「メモ」です。 ハイライトにつける感想がそれに当たります。

これをエディタで表現するにはどうすればいいか。 編集画面の真ん中にどう分割線を引くか。 それが以前考えた「ステノノート」じゃないかと思いました。

Obsidianの表機能を流用して「二面」にしています。

エクセルをエディタとして使ってる人っているじゃないですか。 あれって結構理に適っていると思います。 複眼的な書き方が表現できる。 あるレイヤーではこう言えるけど、 別の層に視点を置くとこう捉えることもできる。 そうした表記がしやすい。

でもやりすぎると単なる「各論併記」になるから、 そこは二層構造で納めよう。 思考を対話として捉えやすくする。 それがステノノートの考え方です。

次世代に向けて

ただ現状では使いものになりません。 Markdownのリストやチェックボックスが表になると壊れるからです。 実際この記事の初めにある「アウトライン」のインデントが平板化されてしまいました。 これでは困ります。

なので、次世代のエディタに望むのは、 余白への書き込みができること。 原稿用紙に赤ペンで書き入れていたようなことが、 何らかのマークアップで表現できる。

テキストファイルのままで、 プレビューでは「余白メモ」になるのがいいな。 あ、もしかしたら脚注を「余白」に表示すれば可能かな。

まとめ

あと、複数ファイルをマージする機能。

自作のPlaylistはdataviewを活用してるので、 Obsidian Basesではサポートされなくなります。 標準でScrivenerのコルクボードみたいなのが実現するといいけど。

ちなみにplaylistをステノノートにすると、 リストの並べ替えが指でできます。