今週はObsidianのWebクリップについて考えました。
「考える」は「迎える→身交ふ」が語源というのが「目から鱗」だった。 大槻文彦の説。 身体的な交流を指すんだ。
WebClip
Webクリップを一覧すると面白いですね。
ネットの記事をEvernoteに落としたりするのは昔からしてきましたが、正直それを読み直すことは少なかったと思います。 InstapaperやPocketも同じで「後で読むサービス」なのに後で読まない。 ほんと、何のためにクリップしていたんだろう。
たぶん、律儀にソースを示しながら論考するタイプだったら、こうしたサービスを有効に使うでしょう。 リンク先を明示しながら何か考える場合ですね。 でも、どうやら自分は「研究者タイプ」ではないらしい。
じゃあ、まったくムダかというと、そうでもない。
今回一覧表示して思いました。 束になったときパワーがみなぎる。 サムネを見るだけで効果がある。 その記事を読んだときの「気分」がよみがえります。
これが「後で読む」の利点じゃないだろうか。
積ん読浴
例えてみると積ん読の状態です。
読んでない本でも背表紙が見える状態で本棚に並べておくと、オーラを出している。 その周辺にマイナス・イオンのようなものを振り撒きます。 これを浴びる。
森林浴ならぬ、積ん読浴。
もちろん、それは本が森の木々から作られているからではありません。 確かに「森」の匂いを感じるけど、それは「異界」に繋がる扉の匂いでもある。
「本」にも「森」にも扉があって、それを開くと別世界に導かれる。 日常を穿つ「穴」になっています。 そこから「向こうの空気」が漏れ出している。 よく見ると「本」という字は「木」と変わりません。 その集合体が「林」になり「森」になる。
積ん読と言っても、何ページかは読んでいます。 「はじめに」を立ち読みして「これだ」と直観した。 あるいは表紙のデザインに引き寄せられジャケ買いしている。 その時点で契約は完了しています。 心を揺さぶられ、 振動が伝わっている。
「読む」とは、その直観の確認です。 すでに振動は受け取っていて、それが何かを知るのが「読む」であって、そうした意味では読まなくて構いません。 だって、振動が伝わったところで「自分」が踊り始めているのだから。
大事なのは、その本とダンスすることです。 読まなくても、ダンスできるなら、読まない方がコスパがいいくらい。 置くだけで風水が調います。
身交ふ
異世界に踏み込んで自分が踊り出す。 それが「読む」ということです。 「読む」は「黄泉」であり「闇」であり「夢」である。 日本語だと、母音が入れ替わっただけの親戚関係にあります。 それは「あの世の入り口」とされた「山」でもある。
Webクリップも一覧表示すると「森」が生まれます。 積ん読浴になる。 中身は関係ないんです。 そこが扉になって「向こう」を感じさせていれば。 これもまた「他者」のバリエーションなんだと思う。 表題を見ているだけで「振動」が伝わってくる。 振動が重なり合って、単体では起こらない倍音が鳴り響く。
一つずつも、何か心に響くものがあったからクリップしています。 目から鱗が落ちる思いをした。 「思い込み」というフィルタが一時的にとれて、世界の別の姿が見えた。 その「記憶」を留めるためにクリップしている。
なので読み直す必要はありません。 「目から鱗が落ちた体感」を思い出せたらいい。 その瞬間、世界はベールを脱いで「ありのまま」を曝け出した。 それで十分です。
日常生活を送っていると、目には再び「鱗」が生えてきます。 何かを「当たり前」と思い、疑わなくなる。 でも、そちらが「当たり前」なのだろうか。 もう少しこの世界は「驚き」に満ちているんじゃないだろうか。
じゃあ、驚いたらWebクリップ。 中身を読む前に驚いたとしても、その記事にはクリップする価値があります。 読んでから驚いても同じ。 「驚き」という体感を保存しておく。 内容とか情報とかは二の次のこと。
「驚き」を再体験するなら、それが積ん読の効能なわけです。
まとめ
森林浴は歩くけど、積ん読は歩かないからなあ。 ホコリも立つし。 身体には悪い。
今日のクリップ
朝日新聞の記事です。 明日の19:25まで無料で読めます。
初代のウォークマンにイヤホン・ジャケットが2つあった、というのが驚いた。 言われてみれば、音楽は「誰かと聴くもの」だった時代が確かにありました。
あと音楽評論がもう成立しなくなった。 それは音楽が「鑑賞」ではなく、「衣服」のように着こなすものになったから。 消費者のアイデンティティに関わるので、ライターは「良い/悪い」を論じるのを避けるようになった。
その代わり、歌詞の背景を説明するブログが流行ってるんだそうな。 メタファーとか使われると、何を言っているかわからない。 「正しい解釈」があると信じている。
音楽って大きく変わちゃったんだな。