二項対立
ツァラさんの物語を読んでいるうちに、とても単純なアレゴリーが思いつきました。 「生=ワシ」と「知=ヘビ」。
つまり、最初から寄り添っているワシとヘビが、そのまま「生」と「知」を表している。 この二項対立を統合するというテーマが流れてたわけです。
解脱か輪廻か
生 | 知 |
---|---|
超人思想 | 永遠回帰 |
進化的時間 | 循環的時間 |
気高さ | 脱皮 |
ワシ | ヘビ |
解脱 | 輪廻 |
「生は超人を目指す」と「知は永遠を繰り返す」。 この二つのテーマが流れている。
ワシはどんどん上昇して乗り越えることの象徴です。 ヘビはウロボロスのヘビのように循環する時間を表す。 超人と永遠回帰は初めから出ていた。 ツァラさんのそばにいて励ましてくれました。 熱にうなされているときは枕元で看病してくれた。
ツァラさんの「横」にいたのに、ツァラさんは「どこか他のところ」に探しに出てしまう。 まるで「青い鳥」が家の中にいたかのような物語です。
観照的生
このワシとヘビは仲良しです。 迷子のツァラさんを探しに来るときは、ワシにヘビが巻き付いて合体しています。 二人ともやさしい。
ということは、「生」と「知」は二項対立ではなく、統合されるべきものです。 それがワシとヘビの姿で表されている。 ツァラさんは「超人思想」を言ったわけでも「永遠回帰」を言ったわけでもない。 そのどちらかに偏ったなら、それはニセモノになります。 第四部は、その「ニセモノ」がいっぱい出てきます。
「よりよく生きること」が「現実の否定」になってはいけません。 「現実の肯定」が「より良い高みを目指すこと」を妨害してもいけない。 「生きること」が「真理と向き合うこと」になる。 それが観照的生のあり方です。 それが、ワシとヘビの合体した姿で表現されています。
イメージとしては初めから出ている。 でも、それを言葉で言い表そうとするとズレが出てくる。 そもそもニーチェ自身が納得できていない。 すぐ二項対立に陥って、どちらを選ぼうとしてしまう。
まとめ
もともとワシは「ライヒスアドラー」というドイツ民族の象徴なんですね。 それで「力の意志」が誤用されるんだろうなあ。 ナチスもワシを紋章に使っていた。 日本における八咫烏みたいな扱いを受けています。
ショッカーの紋章もワシなんだろうか。