プロンプト
生成AIのプロンプトについては、もう実例がたまってきているだろうから、それを調べてみました。 もちろん「要約してください」や「翻訳してください」といった簡単な例もありますが、それらも含めて、もっと実践的なプロンプトが研究されてるようです。
これは生成AIにおける「プログラミング」みたいなものですね。 書式がある。
いくつかサイトを見たところ、次の4点を明確にするのが良さそうです。
- 目的:タスク。何のためにこの分析を行うのか
- 役割:ペルソナ。どういう立場から議論するのか
- 出力形式:フォーマット。箇条書きか、手紙形式か
- 制約条件:コンテキスト。どういう読者を想定するか
これらを押さえると具体的な回答が得られるようです。
とくに「ディベート」という、役割を複数書く方法に惹かれました。 ポリフォニックというか、多角的になりますよね。 しかも、結論も押し付けにならない。
これは試してみたい。
プロンプトの設定
プロンプトが長くなるんですよね。 直接打ち込むのは無理。
まずCopilotのcopilot-custom-prompts
フォルダに下記プロンプトを作ります。
あなたは各分野の専門家です。
今から{activeNote}について、3役を演じながらディベートしてください。
# 目的
中心テーマを深掘りする
# 役割
討論者1:知りたがりの高校生
討論者2:爆発好きのアーティスト
討論者3:プラグマティックな哲学者
# 形式
ランダムに発言してください
# 条件
5回発言したところで終わります
このファイルを「ディベート.md」とします。
使い方
KindleハイライトをWebクリップしたノートを開き、Copilotを起動します。
Copilotのチャット欄に/
を入力すると、上図のような画面になります。
「ディベート」を選んで実行。
すると、するすると「ディベート」が出てきます。
結果
こんなのが出てきました。
討論者1(知りたがりの高校生):この本、面白そうですね!ビオンって誰ですか?禅と精神分析って、全然関係なさそうなのに、どういう繋がりがあるんですか?「無」って、具体的に何のことですか?空っぽな状態ってこと?
討論者2(爆発好きのアーティスト):無?そんなもん、キャンバスに絵の具をぶちまけて、ドカーンと爆発させた時の、あの何もない、でも無限の可能性が詰まった瞬間だろ!ビオンの「O」って、その爆発みたいなものじゃないか? 一気に全てが変わる、創造的な破壊!禅の「無」も、そんな感じじゃない?既存の概念をぶっ壊して、新しい何かを生み出す、みたいな。
討論者3(プラグマティックな哲学者):高校生さんの質問に戻りましょう。ビオンは、精神分析家です。彼の理論は、従来の精神分析とは異なり、患者の無意識へのアクセス方法、特に「O」と呼ばれる、言葉やイメージでは捉えられない領域へのアプローチに焦点を当てています。禅の「無」は、仏教における概念で、空っぽではなく、むしろあらゆる可能性を含んだ状態と解釈されます。両者の共通点は、言語や概念を超えた、ある種の「直観」や「体験」を通して、人間の深層心理にアクセスしようとする点にあります。しかし、単純な同一視は危険です。それぞれの文脈、哲学的背景を理解した上で、類似点と相違点を比較検討する必要があります。
討論者1(知りたがりの高校生):なるほど…。でも、「O」って、どうやって体験するんですか?特別な修行が必要なんですか?
討論者2(爆発好きのアーティスト):修行?そんな堅苦しいもんじゃない!感覚を研ぎ澄ませばいいんだよ!爆発する瞬間みたいに、五感を解放して、無心で飛び込めばいい!そうすれば、「O」がドカーンとやってくる!
討論者3(プラグマティックな哲学者):高校生さんの質問は重要です。本によれば、「O」の体験は、分析家と患者の間の特別な相互作用の中で、直観的に生じるものとされています。特別な修行は必要ありませんが、分析家としての熟練と、患者との信頼関係が不可欠です。アーティストさんの表現は、ある意味で「O」の体験のダイナミズムを捉えていると言えるかもしれません。しかし、それはあくまで比喩であり、実際には、より繊細で複雑なプロセスが関わっていることを忘れてはいけません。
討論者1(知りたがりの高校生):じゃあ、この本を読めば、「O」を体験できるようになるんですか?
討論者2(爆発好きのアーティスト):いや、そんな魔法の本はないぜ!読むのはきっかけに過ぎない。自分で爆発してみろ!自分の内なる「O」を爆発させてみろ!
討論者3(プラグマティックな哲学者):この本は、ビオンと禅の思想を比較検討することで、「O」という概念への理解を深めるための助けとなるでしょう。しかし、それ自体が「O」を体験させるものではありません。 「O」の体験は、個々の分析家と患者の間で、独特な形で生じるものです。この本は、その理解を深めるための、一つのツールに過ぎません。
うーん、呼ぶ人、間違えたかなあ。 アーティストが爆発しすぎ。 この方式では人選が重要ですね。 コーディネーターとしてのセンスが問われる。
しかし、それでも対話が成立します。 というか「成立している」と思ってしまう。
たぶん、同じようなディベートは「私」の中でも起こっています。 いろいろな「私」がそこにいて議論に参加している。 それをシミュレートしているように感じるからでしょう。 「なるほど、そういう話もありそうだ」と。
このプロンプトはそれを模倣している。 とすると、自分の中に参加している「専門家」をうまく召喚できるかが鍵だなあ。 組み合わせによっては、もっと面白い逸脱が生まれるかもしれない。
まとめ
内なる「O」を爆発させよう。 って、それは「コスモ」か、聖闘士星矢か?