元日から2日にかけてみるのが「初夢」らしい。
睡眠の起源
ということで睡眠学の最先端。 まだ博士課程の院生が書いた入門書です。
これは期待の新人だな。 睡眠というと「脳の働き」と思うじゃないですか。 じゃあ、脳を持たないクラゲとかヒドラとかに睡眠はないのだろうか。
そうした疑問が湧いてきたとき、 それを実験でどう押さえていくか。 エヴィデンスってそういうことですよね。 シータ波を測るにも脳波がない。 REM睡眠を調べるにも目に当たるものがない。 何を「睡眠」と定義し、そう定義した場合に何を測定できるか。 ここあたりが推理小説みたいに楽しめました。
ショウジョウバエとかではすでに「睡眠」が研究されていて、その遺伝子も特定されている。 睡眠圧が生まれる仕組みや、体内時計を調節する時計遺伝子もわかっている。 その延長上にヒドラを置いて、類似物を探す。 なるほど、いやはや、面白い。
そんな「睡眠は脳とは関係なしに存在する」を証明し、科学雑誌に採用された新人さんなので、本に書いてあるのはその一点だけです。 でも、その一点は画期的だし、その証明のためにどれだけの土台作りが必要なのか参考になります。
この道を突き進んでいってほしい。
尊厳死
読んでいて連想したのが「尊厳死」です。 もし寝たきりになって、会話もまままならぬ状態になったとしても、実のところ「夢の中」ではどうなんだろう、と。
もしかしたら、脳死になったとしても「夢」を見てるんじゃないか。 脳とは関係のない「睡眠」があるとしたら。 芭蕉も言ったじゃないですか、「旅に病んで夢は枯野を駆け巡る」と。 寝たきりになっても、夢の中では駆け巡るわけです。 体の自由が利く。 そこでも新しい出会いがあり、思わぬ出来事に驚かされたりする。
まだまだ「体験」ができるわけです。 その状態であるのに、外から見て「この人は動けない。生きながらえても苦しいだけだ」と判断していいものだろうか。 そこが、考えるとわからなくなります。
本人に尋ねても「苦しい。生きていたくない」と言うかもしれない。 でも、夢の中ではそんなことに悩まず「人生」を謳歌しているとしたら。 ただ、起きたときにそれを忘れてしまうだけで。
しかも、もしかしたら「夢の体験」がその個人だけでなく、この世界の裏側にとって大切かもしれない。 寝たきりの人が、夢の中では世界の危機を救っているかもしれない。 ほら、場の空気というか、集団的無意識というか、意識的にコントロールできないものが「その場」の土台を為しているけれど、それが「夢で何をしたか」で左右するものだとしたら、夢を侮ってはなりません。
しかも、すべての生命体には「睡眠」がある。 「眠りの世界」に触れることが「命」を維持する基底にあります。 実際、ヒドラでも光を当てっぱなしにされ、ずっと活動状態に晒されると、ケガの治りが悪くなる。 生命力が落ちていきます。 これはなんだろう。
まとめ
人類はまだ「睡眠」を知らないのかもしれない。 毎晩寝ているのに、何も解明されていないんだなあ、と思いました。