Jazzと読書の日々

iPadを筆記具として使う方法を模索します

音声入力はどこか「返事」を待ってしまう

Working day at office|600 Backlink | Photo by Jean-Louis Paulin on Unsplash

これは書き言葉と話し言葉の違いなのかな。

音声入力

最近音声コントロールをいじっていることもあり、あれこれ試しています。

コマンドモードはいいんです。 「使える」って感じがする。 キーボードで文字を打ちながら、メタレベルの操作を音声で扱う。 「行選択」とか、キーボードから指を離さなくていい。 こちらには「道」がひらけている感じがします。

ところが「音声入力モード」ですね。 これ、ちゃんとチェックしてないのでしょうか。 せっかく自動句読点が音声入力にあるのに、このモードだと使えません。 「てん」や「まる」で句読点を打つことになります。

たぶんSafariでの検索を想定しているのかな。 キーワードの入力には句読点は要らないですからね。 でもテキストを書くときには欲しいです。 その使い分けを何か考えてくれると嬉しいけど、今はそうなっていない。

もっと致命的なのはコマンドモードが混在していることです。 「単語削除」と呟くと「単語削除」と入力して「除」だけ消してしまいます。

そりゃダメでしょ。 入力中に反応しちゃあ。 モード切り替えたんだから入力だけに集中しなきゃあ。 どうも「音声入力モード」は開発者が使っていない。 未完成なレベルにとどまっています。

話し言葉

とはいえ、夢の「口述筆記」ですからね。 いざ、寝たきりになっても文章が書ける。 それは魅力です。 大文豪でなければ望むべくもない環境。 それこそが「口述筆記」。

ということで音声入力を試していますが、これがゾワゾワする。 胸のあたりに何か渦巻いています。 なんだろう、これは? 聞き取りやすいように声の張りを出そうとしているのだろうか。 力みすぎ?

いろいろ考えた末「待ち」が入っていることに気づきました。 一文ひねり出したあと、少し間があく。 「待ち」のモードになる。 このモードを解除しないと次の文章が出てきません。 一文話すごとにその解除を無意識的に行っている。

なるほど口述筆記では優秀な秘書さんがベッドサイドにいてタイプライターを叩いているわけです。 イメージとしては。 「今のは疑問文ですか」とか質問を挟みながら文字に落としてくれる。 話し言葉というのは「誰か」に向けて発せられます。 「届いた」と思えば次の文に移れるし、「届かなかった」と感じれば同じ文を繰り返します。 ちょっと言い換えたりして「届いた」を得ようとする。 それが話し言葉の性質です。

つまり「返事」を待っている。 「返事」の中に「伝わったか否か」のサインを読み取ろうとしている。 それは「ああ」や「なるほど」の感嘆詞でもいい。 その「声」に含まれる情緒性に反応して「届いた」と感じる。

そうしたチェック作業が口述筆記に含まれています。

書き言葉

書き言葉はどうなんだろう。 小学校の頃の作文から考えても、これは独りで行う作業ですね。 まあ、まず他人に見られたくない。 隠しながら原稿用紙に文字を埋めます。 「話すように書きましょう」と言われても、これは話し言葉ではありません。 まず書き言葉の文章に馴染んでからじゃないと無理です。 じゃあ、どう馴染めばいいだろう。

お絵描きに似ています。 ひたすら線を描くことに没頭する。 自分が描いた渦巻きに反応して、今度は外に発散する線が出てくる。 発散したらジグザグを振りまき、思わず画用紙を破ってしまう。 そうした心の移り変わりを動作で表現するのがお絵描き。

渦巻きが「顔」になり、ジグザグが「稲妻」として整えられるとアイテムとして使える。 災害に逃げ惑う人間たちの地獄絵図。 テーマはあとから浮かび上がってきます。 本人が地獄を描きたかったかどうかとは関係無しに、子どもの落書き帳は「心の動き」を閉じ込めたパンドラの箱になっていきます。

書き言葉はその延長ですね。 アイテムが「言葉」に変わるだけです。 自分から湧き出す「動き」を箱に閉じ込めていく。 だから「チラシの裏にでも書いてろ」と言われます。 最近のチラシは裏にも印刷があるから使いづらいですが、基本はクレヨンでの落書き。 子どもの頃から変わりません。 自分と向き合うツールです。

まとめ

話し言葉は共同作業だが、書き言葉は相手を同じ沼に引きづり込む罠。 「あなたにもドロドロしたものがあるでしょ? 書くと楽になれるよ。楽になろうよ。ほらほら」。