Jazzと読書の日々

iPadを筆記具として使う方法を模索します

AppleはiPadをMacBookより重視している

そもそも円安をなんとかしてくれ。

iPad

iPad Proの安い方で16万円台かあ。 これはパソコンですね。 ノートパソコンと思えばお手頃かもしれません。

しかもCPUがM4になっている。 MacBook ProでもM3なので「何に使うことを想定しているんだ?」になります。 MacBookに積むより先にiPad、ということは「これからの戦場はタブレットにあり」と見てそうですね。

キーボードもトラックパッド付きで「ノートパソコン」。 軽いし薄い。 この方向が歓迎されでいるのだろうなあ。

ダイナブック

個人的にはiPadには「パソコンのメタファー」を断ち切ってほしいのですけどね。 アラン・ケイの「ダイナブック」を目指してほしい。

ダイナブック」は1968年に構想されたコンセプトです。 子どもたちが持ち歩けるコンピュータ。 モックアップではキーボード付きのタブレットになっていますが、そこまで厳密に考えなくていいでしょう。 マルチウィンドウで文字を書いたり絵を描いたりできる。 ほら、iPadで実現してるじゃないですか。

もちろんsmalltalkでプログラミングできるのも条件。 信者さんの場合はそうなります。 でも今の時代ならjavascriptで許してもらえないかな。 Obsidianみたいに、ちょっとしたスクリプトを実行できる環境があれば、普段使いに困らないし。 pythonの実行環境もあるから「これもダイナブック」でいいじゃないか。

追記:もしかしてsmalltalkとShortcutって似てる?

GIGAスクール

あとどうなると「iPadダイナブック」になれるだろう。 最近は小・中学校の授業でタブレットが使われてますよね。 GIGAスクール構想。 パソコンやタブレットを積極的に教育に取り入れる。 それはそれでいいんですが、ここに哲学が絡んでいない。

別に「ダイナブック」でなくて構いません。 でも「この子たちが大人になったとき、コンピュータは生活にどう組み込まれるのか」というビジョンがない。 動画が使えて学習に便利、とか、Excelで棒グラフを作ろう、とかじゃなくて。 それくらいならまだゲームでもして、操作に習熟する方がマシ。

アウトライナーマインドマップかなあ。 入口とすると。 まず紙に書いたりカードで並べたりして「考えをまとめるのに便利だね」と実感してからデジタルに取り掛かる。

あるいはGTDの考え方か。 物事に取り組む前にタスクを切り出して整理してみる。 段取りが視覚化され、気持ちも落ち着く。 そうした体験をしてから「じゃあ、パソコンでもやってみよう」と導入する。

こうしたライフハックはそのままプログラミングの思考と直結しています。 アルゴリズムを組む。 混沌とした世界に筋を通す。 筋を通せば、それに当てはまらないものも見えてくる。 そうしたら認知レベルを上げて条件分けしてみる。

こうした構造化には構造主義的な視点が必要になるし、自分の死角に気づくには他者との対話が欠かせない。 「学校」という環境は最適なんですけどね。

まとめ

とはいえ、生活に「タブレット」が入り込むには文房具化が必要だと思う。 高性能ではなく、もっと安価で、壊れても苦にならない存在。

AmazonのFireのほうが理想に近いけど、Obsidianも走らないからなあ。