あっつー。
とうとう『ダンダダン』が始まったじゃないか。 でも春アニメの総括ができていない。 『ぷすぷす』や『にんころ』や『ラザロ』や『シングレ』はともかく 『ジークアクス』が未消化のままです。 このままでは夏を乗り切れそうにありません。
ジークアクス
映画は前半部分だったのですか。 すると「シャロンのばら」がキーワードで出てきて、 正体が何かは伏せてあったということかな。
「私はシャロンのばら、谷の百合です。」
「乙女たちのうちに我が愛する者のあるのは、イバラの中に百合の花のあるようだ」
ほかの女の子らはイバラ扱いです。
まあ、イバラも薔薇だからいいのかもしれないけれど、 そしたら彼女は薔薇なのか百合なのか。 どうも何に喩えたいのかわかりません。
「エルサレムの娘さん、あなたがたに、カモシカや野の鹿を指して誓ってほしいのです。 どうか私の恋人を起こさないでください。十分に寝かせてあげてください。」
この寝ているのは女性なのか男性なのか。
女性だとすればそれがララアで、 ララアは何度もシャアが死なないで済む世界を夢見てきた。 その夢のNPCがマチュたちということになります。
でも寝ているのが男性だとすると、 こちらはギリシア神話のエンデュミオン。 月の女神セレーネが恋した相手。 老いていくエンデュミオンに耐えきれず、 セレーネは彼に不老不死の魔法をかけてしまう。 でもそれは永遠に目覚めることのない呪いだった。
ジークアクスに発動したのがエンデュミオン・システムだったので、 こちらの連想も含んでいますね。 ジークアクスの「中の人」がアムロだった。 「もうララアが悲しむところは見たくない」と。 本当によくわかりません。
だいたいシュウジが何をしたかったのか説明不足です。 ララアが目覚めても、別に問題なかったじゃないですか。 いつも目覚める前にエルメスを破壊していたのでしょう。 何が起きるか憶測のまま不安に支配されていた。 それじゃあ、何度転生しても不安が収まることはない。
そもそも、なんでセイラさんを擁立して新政権なんだ? ガルマはどうした? 山にでも籠って陶芸家やってるのか? ガル山ぽんざんか?
マチュの物語
マチュの物語として見ても、 女子高生がホストに貢ぐために闇バイトに手を出して、 挙げ句の果ては東南アジアに逃亡することになったという話です。 東南アジアというか、ララアがいたところはインドかな。
それって今風かなあ。 いや、一回り周って今風かもしれない。 人工的に作られたサイド6に生まれ、 どこか本物に憧れていた。 でも実は「この世界」自体もララアが作ったニセモノだとわかって、 さて、どう生きていくか。
ここに「現代の縮図」を見て取ることができるかもしれません。 だって、今の世界は「安心安全」が幅をきかせて嘘くさい。 家や学校に不満があるわけじゃないけどキラキラしない。 それでホストやら推しやらに熱狂して「現実の外」に出ようとしている。
でもその「現実の外」もシステムなのです。 「生きがい」を欲望するように誘導された人工環境。 東南アジアに逃亡しても、まだシステムの手のひらの上です。 どこにも「本物」はない。 そこでは「生きているって感じがしました」という体験がない。
なので「いつかシュウジのところに行く」という夢は、 ララアの夢ではない、マチュの夢なのです。 そこでマチュは自分の夢を初めて持った。 親の夢でも恋人の夢でもない。 自分の夢。 そこに「本物」への入り口があるということでしょう。
帰れる場所
夢を見ているのは眠っているからです。 眠っているのはシャロンのばら、あるいはエンデュミオン。 彼らは目を覚まし、自分の世界に帰っていきました。
そういえばファースト・ガンダムのテーマは 「帰れる場所」だった。 最終回にアムロが 「僕には帰れる場所があるんだ。こんなに嬉しいことはない」 と言っていた。 「帰れる場所」は「ふるさと」ではない。 生まれたところでもないし父親や母親のもとでもない。 ガンダムは、 昭和末期の「ふるさと」を持たない世代を描いていたんだっけ。
すると『ジークアクス』はアンサーソングなんだな。 今度は「みんなのところ」でさえない。 でも「帰れる場所」はある。 いつになるかはわからないけれど。
まとめ
いつかっていつですか。 人類のバカー!
…やっぱり今期はヤチヨさんが先に行ってました。