Jazzと読書の日々

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ウィークリーノートがマッピングである

white ceramic mug with coffee on top of a planner Photo by Estée Janssens on Unsplash

デイリーノートを読み直し、今週の出来事を捉える。 理屈ではわかるのですが、続きませんね。 何か間違っている感じがする。

思うに「今週何を考えていたか」はブログに表れます。 デイリーノートも実はブログのネタとして組み込まれている。 直接的な場合もあるし、間接的な場合もあります。 だとしたら「今週のブログ」を振り返れば「ウィークリー」になります。

本当かどうか実験してみましょう。

今週のブログ

一週間前は大相撲の話でした。 オリンピックと絡めている。 照ノ富士の優勝からまだ一週間しか経ってないのかあ。 意外な感じがする。

それから実存主義の話で、カレー沢薫の人生相談があって、推しの子ですね。 今週はこの流れだった。 だらだら文章を書いていてまとまりがありません。 いいのか、これで。

でもキーワードをマッピングしてみると面白いのです。 どれも「マウンティング」の話をしています。 意識したわけじゃないけど共通テーマが貫かれている。

大相撲は関取どうしのマウンティングです。 同じ土俵の上で競い合っている。 実存主義は戦後のところを読んでいて、戦時中はレジスタンス仲間だったサルトルメルロ=ポンティカミュたちが、アルジェリア独立戦争で立場が異なり始め、仲違いしてしまう。 誰が正しいのか。 対話を重んじていたはずが対立が濃厚になっていく。

カレー沢先生はマウンティングの相談で「推しの子」も「どちらが正しいか、舞台の上で勝負よ」です。 おやおや、マウンティングに興味があったのでしょうか。 その周辺の考察を今週はブログにしている。

随筆としてのブログ

最近ブログは構成を考えず、書き下すようにしています。 なので、文章があちらに行ったりこちらに転んだりして読みにくい。

「悪い書き方」の典型みたいですが、書く時間が取れないので割り切って「書き下し」にしています。 随筆段階でそのままアップして、あまり推敲を加えていない。 アップしてから誤字脱字の訂正をしてたりする。 あとで内容まで書き換えたりしています。

書き下しの面白さは、書いている途中で発見があること。 「これはあれか」と気付き、途中から主張が変わったりします。 まず自分が楽しい。 自己満足がなければ、書く意味がない。

と言っても、あとで読んでも迷子にならないように「伝わりやすさ」も考えています。 考えることは迷宮探索ですからね。 パン屑を落として、入口からの経路を押さえておく。 また同じところまで戻れるように仕掛けを作る。

ブログ自体はそんな書き方をしています。 むしろ、1回あたりの文章量は減らしたいかな。 分割してアップした方が「ここまで考えた」がわかりやすいかもしれない。

マッピング

あと「今週のテーマ」として「マッピング」もありました。 マッピングを記述する方法を模索しているけど「これだ」という方法論がない。 どれもイマイチです。

このマッピング、振り返ってみると、随筆の「コンテンツ」をマップにしようともがいているんですよね。 コンテンツを対象にすると「ルート」になってしまう。 それは当たり前で「ルート」を記述するならアウトライナー形式の方が適切です。 決してリゾーム状の「迷宮マップ」にはならない。

迷宮マップが描けるのは、それぞれの「部屋」の配置を見渡すときです。 ちょうど今「ウィークリー」を考えているように。 記事を並べ、そこにある関連性を取り出す。 そのとき「マップ」を作る意味が生まれる。 そのマップをもとに、実際は出版しないにしても、ブログをネタにした「本」が作れるのですから。

「今週」は「マウンティング」が共通テーマ。 そう考えて読み直すと、記事ごとにニュアンスが違います。 角度を変えて、捉え直そうとしている。 大相撲もオリンピックもマウンティングです。 それは自分に対する搾取にもなっている。 ハイデガーの言うように、限界まで可能性を搾り取ろうとしている。

良いか悪いかの判断はできません。 それがその人の「この人生の意味」になっているなら、外野がとやかく言えることはない。 ただ無邪気に賞賛もできません。 マウンティングはパワハラやセクハラ、児童虐待やイジメの基盤にあります。 社会の根底に隠れているという自覚がなければ消えるわけがありません。

今週はそのことを考えていたということだな。

まとめ

ブログに「ウィークリー」を付けてみる。 次の週に取り組むテーマが出てきそう。