むっちゃ面白かった。
生物学の創造
進化生物学のルロワ教授がアリストテレスの「動物誌」について詳細に分析しているエッセー。 エーゲ海にダイビングしたり地元の漁師たちの与太話を聞いたりしながら、合間に考察が入るので、なんか趣味がそのまま仕事=研究になってるみたい。
縦横無尽に話が進むので分厚くて値段も高いけど、読むのに苦痛を感じなかったから、やっぱり面白かったなあ。 「生物学って楽しいよ」というお誘いを感じます。
形相と質料
アリストテレスといえば「形相因と質料因」ですが、なるほど生物学から押さえていくと大事な概念ですね。 アリストテレスは胚の発生を研究してるんです。
鳥の卵を採ってきて、1日目、2日目、3日目…と順番に割って中身を調べる。 すると胚が分化してだんだんと鳥の姿になっていく様子が観察されます。 これは科学だなあ。
はじめに心臓が形成されて、まず魚のような形になり、それからトカゲみたいな姿になって、その前足がツバサに変わっていく。 卵の中では短いながらも進化の過程を辿り直します。 アリストテレスはこれに気づいていた。
無精卵ではこんな分化は起こりません。 とすると雄鶏の精液に何かがあるから卵に変化を生じさせるのだろう。 アリストテレスはそれを「形相」と呼んだ。 卵の構成物質を材料、つまり「質料」とし、そこに精液からの「形相」が加わることで生命が動き出す。
英語だと「質料」はmatterで「形相」がformです。 そのまま訳せば「材料」と「形」ですね。 よく服装で「フォーマル/カジュアル」という区別がありますけど、あれもアリストテレスの「本質的/偶発的」の区分に該当します。 物事の本質は「材料」ではなく「形」のほうにある。 たとえばチェスの駒の材料が石であっても木であっても、本質においてはチェスであることに変わりない。 その本質を「形相」と呼んだわけです。
でも卵の話に戻ると「本質」ではぴったり来ませんね。 そこでルロワ先生は「情報」と訳すことを提案しています。 材料に情報が付け加わることで胚の発生が起動する。 「情報」はinformなので、たしかにアリストテレスの「形相」なのです。 形相(エイドス)とは材料に「形」をinするモノのこと。 そう読むとわかりやすい。
「ハードウェア/ソフトウェア」と言い換えてみると、より現代にマッチしますね。 ハードウェアだけ見れば、有精卵も無精卵も同じ「材料」でできている。 そこに精液から「情報」が与えられることで分化が始まり、胎児への変化が起きる。 「情報」自体はソフトウェアなので直接観察できないが、ひな鳥が生まれることを見ると「鳥」の情報であることは明らか。 そういう関係を「質料/形相」で考察しているわけです。
進化論
発生の途中で魚やトカゲの姿を取ることから、アリストテレスが進化論を着想してもおかしくありません。 もちろん、そこまでは彼も言っていない。 ただ、環世界に合わせて生物が形を変えることには気づいています。 環境適応の理論が組み込まれている。
実際ダーウィン自身もアリストテレスを参考にした部分があるようです。 というか、ダーウィンに影響を与えた生物学者たちがアリストテレスを読み込んでいた。 歴史的に時代遅れになっていた部分は多いけれど、理論に関しては斬新で、むしろ後の時代のほうが遅れていたりします。 まあ、キリスト教の影響が根強かったからでしょう。 アリストテレスはその影響を受けてないので、ありのままに自然を観察し、時には実験もし、港で買い込んだ魚やイカを解剖しながら理論を作り上げた。
ウナギを解剖して生殖線を見つけることができず「ウナギは自然発生するのかもしれない」と書いたばかりに、フロイトがウナギの研究をしたり。 そのためフロイトはウナギのニューロン細胞を見つけ神経学者になったのでした。 アリストテレスは罪な男だ。 フロイトの精神分析は「カタルシス」も「エディプス」もアリストテレス由来です。 「夢判断」も「夢占いについて」から引用しているし。
「自然はムダを作らない」という信念をもとに、それぞれの動物の特徴には「生き残るための目的」があるのだろうと考えた。 防御のためにツノを発達させると、それ以外の部分に「材料」を回すことができず、足が遅くなるなどのデメリットが生まれる。
全体的なエネルギーのバランスという観点があって、これもすごいですね。 どこかにコストを割くと、他の部位は簡略化せざるを得ない。 トレードオフが起こる。 フロイトのリビドー経済論はこれをもとにしてそうです。
草食動物は一体しか産まない代わりに、すぐに移動できる完全体で生まれる。 対して肉食動物の幼獣は不完全体で生まれるが、数が多い。 離巣性と定巣性の違いに気づいている。 これもコストとして説明しています。
そしてヒトはこの法則に当てはまらない。 ポルトマンの先取りをしているなあ。 全部アリストテレスひとりで思いついたとは思えない。
生命学
ルロワ先生は進化論や遺伝子学の文脈に置き直して読んでいるけど、ところどころ「非科学的」なところにぶつかって悩んでいます。 でもそれは仕方ないですね。 アリストテレスの興味は「生物学」ではありません。 根っこにあるのは「生成流転する自然」。 つまり「命とは何か」です。 それを探るために生物学や天文学、倫理学を作り上げている。
「命とは何か」は今の科学が避けているテーマです。
生きている人間にとってこれほど大切な問いはないのに、どの学問も真正面から扱っていない。 ゲノムを調べてもいいし、化石を発掘しても構いません。 月面を調査したり、ヒモ理論を考えてもいいでしょう。 でも「生命」も同じくらいに重要な課題です。 もしかして哲学? いや、彼らも別のことで忙しそうです。
「命とは何か」は宗教ではありません。 「生きている」ということです。 「この世」の話であり「あの世」にはないものです。 それをどう考えればいいか。
それを実践しているのがアリストテレスじゃないかな。 「目の前にあるよ」と言っている。 ウニの話をしても星の話をしても同じです。 「生きている」そのこと。 誰もが知っていて誰もがわかっていない、そのこと。 それをソフトウェアとして解析する。
まとめ
ルロワ先生のエッセー風の書き方も「生きてる」の表現じゃないかな。