Jazzと読書の日々

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「夢判断」で夢判断はできない

前歯の裏側に違和感があって舌で突ついてみたらポロッと欠けました。 やや、やはり虫歯になっていたか。 歯医者に行かないとなあ、と思ったところで目が覚めた。

これにはどんな象徴的意味があるのでしょう?

夢判断

NHKで特集があるみたいなのでテキストを買ってみました。 「夢判断」。 何かヒントがあるかと思ったんですがハズレですね。 虫歯占いについて何も書いてなかった。 吉祥夢じゃないのかな。 「そろそろ歯医者に行け」ってことじゃないよね?

フランス語を直訳したような文体の立木先生には珍しく、読みやすい日本語になっています。 テレビでしゃべる前提のテキストだからでしょうか。 圧縮と移動の難しい機制もわかりやすい。 ほかの本もこの文体で書いてくれたらいいのに。

さて「夢判断」ですが、これはフロイトの治癒ログですね。 父親が亡くなったあと変な精神症状に襲われたフロイトが、夢を記録することで自己分析し、自分の中の「欲望」と対峙することで回復していく。 そのプロセスを学術論文風に仕上げています。

言ってみれば昨今はやりの「当事者研究」なのですが、それを「精神分析」という一つのシステムに仕上げた手腕は感嘆に値します。 自分が回復できたのだから、同じ道筋で他の人たちにも効果があるだろう、と。 それは一面真理であり、一面では過度な一般化だと思う。 立木先生みたいに手放しでは賛同できないなあ。

フロイトはエディプス神話に人間の深層心理を見ているけど、それは「父親の死」によって自分の中に「父への殺意」があったことに気付かされたからでしょう。 だから「夢判断」に挙げられた夢の多くに「死」を巡るテーマが反復しています。 自分の患者が不治の病に冒されたり、亡くなった息子の亡霊が出てきたり。

これを「願望充足」と呼ぶとして、それは普通の人が考える「願望」ではありません。 彼の言う「快」は、緊張を放出し無機物に戻ろうとする力です。 後期のフロイトなら「死の欲動」と呼ぶところを先取りしています。

エディプス神話で回復したフロイトが、実際の人生においても故郷ウィーンを終われ、異郷の地で亡くなるのは恐ろしいですね。 しかも末娘に付き添われて放浪するところまでエディプスと同じです。 「物語」を通して治癒すると、その「物語」に人生を乗っ取られてしまうのかもしれない。 「物語」の持つ魔物のような力に戦慄を覚えます。

フロイトだけじゃない。 誰もが知らないうちに、他の人の「物語」に人生を乗っ取られている。 そこを自覚的に生きるのが「フロイト以降」の課題のように思います。

夢の治癒力

夢を「意識とは別の知性」と考えるのはフロイトの特権ではありません。 彼が書いているように、アリストテレスがその先駆者だし、そこにはアスクレピウス神殿での「夢治療」があります。

アスクレピウスは古代ギリシアの医療神で、その神殿で一晩過ごし夢を見ると、その夢に「患部はどこで治療法は何か」の神託が含まれる。 患者自身が自分の夢を解釈します。 ギリシアの人たちは重篤な病いに罹ると、その神殿を詣でるのが常でした。

この神殿にある寝台が「クリネ」で「クリニック」の語源。 今も床屋や歯医者で使われているリクライニング・シートのご先祖。 要するに「寝椅子」のこと。 精神分析で寝椅子を使うのは、この神殿を模倣しています。 ちなみに患者の嘔吐物や寝汗の処理をする奴隷は「テラポン」と呼ばれ、今の「セラピー」の語源になっています。

アリストテレスによると、この「夢治療」は神様とは関係なく、夢自体に自己治癒力があるという説明になります。 脳に宿る魂(ヌース)の活動が低下すると、日中受けた強い刺激の傷を心臓に宿る魂(ファンタシア)がグツグツと煮込み、吸収できるように調理してくれるという理論を出しています。

フロイトの「日中の残滓」はこのネタだし「心臓に宿る魂」というのが「無意識」でしょう。 決して「無意識」は本能や獣性ではない。 別のロジックで動く知性です。 それが夢の作業でストレスを緩和してくれる。 調理し損なえば「悪夢」になって目が覚める。

この考え方は今でも通用するんじゃないかな。

前世の夢

気になったのはモーリという人の夢。 フランス革命の頃、ロベスピールの政敵になったばかりに最後ギロチンで首をはねられてしまう。 そんな夢を見た人の話です。

これ、古代インド人なら「前世はフランスの革命家だった」と考えるでしょうね。 というか「前世や輪廻ってどう信じていたのだろう?」と疑問だったのですが、夢を「前世の記憶」と思っていたと想定すると辻褄が合う。 そう気づきました。

案外ありますよね。 夢の中で、見たことのない街を歩いているのに「前もここに来たことがある」と感じること。 「あそこを曲がると地下鉄の入口がある」と思っていると、たしかに地下鉄がある。 知らない土地なのに不思議不思議、みたいな夢。 あれも「前世はここに住んでいたんだ」と信じれば、不思議でもなんでもない。

するとお釈迦さまが「前世では空を飛んだり瞬間移動したりしてた」と言い出すのもよくわかる。 空を飛ぶ夢もときどき見るし、前後の脈絡なく場所が変わる夢も多い。 夢の中では日常茶飯事です。 これを「記憶」と同列に扱っていいなら、私にも神通力がある。 夢の中とはいえ「そんな体験をしたことがある」と言ってもウソではない。

夢に「知らない人」が出てきたり「聞いたことない話」を聞いたりするのは、それが前世の出来事だから。 「無意識がどうの」と言われるより信憑性がありませんか。 空を飛ぶのだって、実際に体験したことがないのにちゃんと体感がある。 これは、そんな体験を遠い昔にしたことがあるからだろう。 そう古代インド人が信じたとしても不思議ではありません。 それが仏教のインディアン・ジョークになってるのでしょう。

まあ、現代人としては信じられないし、信じてないからそんな夢を覚えていたりしない。 起きたら、自分の信念と齟齬をきたす夢はすぐ忘れる。 もしかしたら「前世の夢」はもっと見てるのに覚えてないのかもしれない。 それだけのことかもしれません。

まとめ

そして面接室で語られる夢に「伝えたいメッセージ」が隠れているのは当たり前のこと。 もしそういうメッセージがなければ、起きたらすぐに忘れてしまうことでしょう。

夢は「無意識から分析家へのコミュニケーション」になっている。 それが「夢判断」のポイントですね。 「ほら、ウソばかりつくと虫歯ができちゃうぞ」と。