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精神分析の構造分析

精神分析は全体像がわかりにくい。 複雑に進化した学問体系だと思う。 哲学で読み取ろうとするとラカンをフィルターにするので、さらにわかりにくい。

誰を中心に据えるといいだろうか。

サリヴァン

アメリカの精神分析事情がよくわかる入門書。 ハリー・スタック・サリヴァンが時流にそぐわない変人だった様子が描かれている。

サリヴァン精神分析は王道ではなく邪道。 マーガレット・ミードと親交があり、当時の文化人類学を精神医学に取り込んだことが功績だろう。 たぶんミードの夫であるグレゴリー・ベイトソンとも交流があったと思われる。

アメリカの精神分析学会からは毛嫌いされ破門されているが、精神科医以外でも精神分析を学べる研究所を開いたことで一つの勢力になっている。

シンタクシス

二者関係の見取り図を描くと下記のようになる。

「私とあなた」の間には二つのレベルが存在している。 体験レベルと表象レベルだ。 体験レベルは実際にふたりの間に起きているカオスの世界である。 そこはまだ「私とあなた」に分化していない。 この状態をサリヴァンは「プロトタクシス」と名付けている。

人は表象を使い、体験を「私とあなた」の二項関係として認識する。 「私とあなた」というイメージで体験を捉えようとする。 ただ何を「私」とし何を「あなた」とするかは恣意的である。 不安を感じても、それを自分のことに認めれらないと「相手が不安になっている」や「相手は私を不安にしようとしている」と誤認する。 反対に相手の不安を自分のことに感じ、イライラすることもある。 これが「パラタクシス」である。

そうしたパラタクシス状態は対話によって解消される。 自分の思いを伝えたり、相手の考えを尋ねたりする交流を経て、表象は改訂され、カオスだった体験を「私とあなた」に秩序立てて捉えることができる。 これを「シンタクシス」と呼んでいる。

プロトタクシス→パラタクシス→シンタクシス。 これがサリヴァンの要点である。 誰もが日常的におこなっていることだ。 ただ、対話不全がある環境ではパラタクシスで止まってしまう。 不安の所在が曖昧になり症状を引き起こしてしまう。 彼の考えでは、このプロセスを改善するのが精神分析である。

この図式はラカン現実界想像界象徴界とも重なる。 文化人類学を応用しているので「その場に参与していること」と「その場を観察していること」の二重性が意識されている。 ラカンなら「クラインの壺」で描く事態だろう。

精神分析の展開

この見取り図は精神分析自体の多様性を表してもいる。 表象レベルの「私とあなた」を「自我と対象」、体験レベルの「私とあなた」を「自己と他者」と読み替えるとわかりやすい。 フロイト自身はこの四項を使い分けているが、どこに力点を置くかで後の精神分析が分岐し、多方向に展開している。

アメリカに渡った精神分析は「自我」に重きを置いた。 自我心理学と呼ばれている。 ストレスに打ち勝つ「強い自我」が治療目標となった。 この考え方は認知行動療法に受け継がれている。 自我心理学の「防衛機制」は「コーピング・スキル」と呼び変えられ、それをトレーニングで身につけるデザインになっている。

イギリスに渡った精神分析は「対象」に注目した。 対象とは「他者イメージ」のことである。 subject(主体)に対する object なので「客体」じゃないかと思うが「対象」が定訳になっていてわかりづらい。 「他者イメージ」の基盤を母子関係に見ているので、発達心理学の愛着行動研究に結びつき、今は「メンタライジング」という技法に発展している。 ビオンという大物がいて、とても難解な分野である。

体験レベルの「自己」に焦点を当てたのがコフートである。 自己心理学と呼ばれ、分析学会の会長だったこともあり現在アメリカの主流である。 けれど理論を完成する前に他界したため、後継者たちが百花繚乱。 ストロロウやオグデンは、二人が出会う場を「間主観性」と呼んでいて、場所論と見たほうがいいのだろうか。 どちらにも属さない「第三主体」が場に現れ対話を促進するという。 ちょっとオカルトっぽい。 共感や体験を重視する点ではロジャーズ派との相性がいい。

そして「他者」から考察したのがサリヴァンである。 人の「心」は個人の内界で完結するものではない。 脳だけ培養しても「心」は生まれないだろう。 他者との交流を通し、それを内面化することで「心」が生まれる。 だから「心」は他者との出会いによって成長する。 対人環境を重視し、対人関係療法やシステム療法に影響を与えている。

精神分析精神科医でないと行うことができない。 それがアメリカのルールだ。 そのため心理学系は「認知行動療法」や「システム療法」といった別の名称を使っているのだろう。 そして薬物療法が主流になるにつれ、アメリカでは精神分析が衰退していった。

いまだに元気なのは「フランスの精神分析」になっている。

まとめ

この見取り図、結局ラカンのシェマLじゃないか?