Jazzと読書の日々

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「考えること」を考える

green ceramic mug beside book|600 Backlink | Photo by Aaron Burden on Unsplash

書くときも読むときも「メタ思考」は背後で動いている。

5W1Hを考える

何かを考えるときのガイドラインになるのは疑問形です。 それは「考えること」を考える場合でも同じ。 ひとりQ&Aというか、自分で問題を立て答えていく。

その問題の作り方が5W1Hの疑問形になります。 「何?」とか「なぜ?」とかまず質問を考え、その答えを説明するプロセスが「論」になっていくわけです。

この仕組みを意識すると、本を読むときでも「今はHowの話をしているなあ」や「Whyを抜かして論を進めている」とメタレベルでの読み取りができるようになります。 これが身につくと読書が少し深く楽しめますよ。

  • What…何を考えるか
    本質論。 「それは何であるか」という定義をする部分です。 「本質」を意味する「エッセンス」と言う言葉はラテン語の「ある」から作られました。 be動詞ですね。 英語で表すと「is-ness」みたいになります。 欧米語は「それがある」と「それは何々である」をともにbe動詞で表すため、存在と本質を区別できない。 プラトンイデアがこれだったので、長い間哲学は本質論に囚われてました。

  • How…どう考えるか
    方法論。 例えば「ゲーム」という言葉に本質的な定義などなく、いろいろな場面で人が「ゲーム」という言葉を使っているだけ、と考える言語ゲーム論の立場です。 どう使っているかを調べることで「ゲーム」の役割を浮き彫りにする。 語用論(pragmatics)だけど、やはり「プラグマティズム」だろうか。 分析哲学の系列。

  • Why…なぜ考えるか
    意味論。 「どうして考えたいのか」という作者側の思いというか狙いというか、欲望や目的の話です。 人間が絡んできますよね。 「なぜ」を考えることは価値に関わることであり人文学的な営みです。 どんなに中立的で客観的な研究であっても、その研究をしようとした動機を問いただせば、そこに研究者の欲望がある。

以上の三点はこれまでも考えてきました。 Whatは抽象化に動くし、Howは具体的な事物に向かう。 抽象化も具体化も外からの視線であるのに対し、Whyは内界からの意味付けを担っています。 この三つの力が文章作成に働いて論を展開していきます。

さらに考える

ただ疑問文はこの三つだけじゃないですよね。 あと三つある。 そこを考えたのが、比較的新しい哲学じゃないかと思います。

  • When…いつ考えるか
    系譜学。 別の時代の人たちには、同じような出来事でも違うような見え方がしていたのではないか、という考え方です。 「時代によってパースペクトが異なる」というニーチェの系譜学から始まり、フーコーの「エピステーメー」に繋がっていく。

  • Where…どこで考えるか
    人類学。 住んでいる地域や社会によって、異なるモノの見方をしていると考える立場。 系譜学が時間的相対主義だとすると、こちらは空間的な相対主義です。 一昔前の「開発途上国か先進国か」という優劣で考えるのではなく、その地域においてはその時点の最適解であると考える。 レヴィ=ストロース構造主義でもあるし、個人レベルで考えれば、有限性を自覚する哲学がこれに当たります。

  • Who…誰が考えるか
    当事者論。 その考察を誰がしているかを意識する立場です。 最近の話だと「当事者研究」ですね。 専門家がデータを集め分析したところで、外から見える不都合を他人ごとのように分類・診断するだけです。 そこを、例えば脳性麻痺の患者さんが「自分自身の生きづらさ」として語り直す。 そうすると、分類・診断ではこぼれ落ちるような多彩で豊かな世界が広がっていると教えてもらえます。

この三つはいずれも相対主義ではあるけれど「いやあ、いろいろありますね」という話ではなく、翻って「いまここ」を振り返る視点だと思う。

水の中の魚は水に気づくことができない。 水に気づくには「他者の視点」が必要となるので、そのツールとして様々な相対主義が開発されたのではないでしょうか。

それ以外は何か

こう考えてくると「疑問文は6つだけか」という疑問も浮かんできます。 たまたま英語で考えると6つしかないだけじゃないか。 いや、英語でもまだあるじゃないか。

  • Whom…誰に語るのか
    読者論。 口頭で話すにしても文章で書き表すとしても、宛先がある。 つまり「誰かに向かって」という側面が介在してきます。 それは些細なことではない。 誰に書くかによって、書き方は変わるし、書く内容も影響を受ける。 重要な要素です。 しかも、想定していない人も読み手になる。 そのことで何が起こるか予想はできません。 ここまで広げると誤配論ですね。

他にも疑問文はあるだろうし、それを発見すると新しい哲学が生まれる。 現代はそんな思考のフェーズに入ったように思います。

まとめ

秋は読書の秋。 疑問文を意識しながら、作者の思考を追体験してみる。 いとおかし。