Jazzと読書の日々

iPadを筆記具として使う方法を模索します

「書く」を三項関係から考える

実はまだ半分しか読んでないですが、それでも示唆深いので。

フキダシ論

マンガで使われるフキダシに注目した考察。

作者の細馬さんは人間行動学の第一人者で、切り口がすごい。 ずっと「アッ」と驚かされます。 今回のフキダシ論もそのオンパレード。

使っているツールは「三項関係」ですね。 発達心理学で用いられる視点をマンガに流用している。 「誰が・誰に・何を」の三項目に着目します。 物語のシークエンスをこの共同注意という行動として読み解く。

スキナーの「タクト」に当たる言語行動です。 話し手と聞き手がいて、対象を共有することで関係性が変化していく。 それを物語の原動力と捉え、フキダシが占める機能を分析しています。 この切り方が鮮やかで、気持ち良く騙される感じがいい。

語りは騙りです。 それまで繋がってなかったところに筋を通す。 するとしっくり来ます。 なるほど、そうだったのか、と。 その反復が気持ちいいです。

三項関係

graph LR
a(話し手) --> c(対象)
a ==フキダシ==> b(聞き手)
b --> c

メタレベルの三項関係は「作者が・読者に・物語を」です。 そのためにフキダシにいろいろな工夫がされてきた。 積み重ねるうちに技法が高度になっていきます。

物語レベルでは「話し手が・聞き手に・ある対象を」です。 出来事にはこの三要素が現れます。 なので、フキダシは四通りに分類できる。

  1. コマに話し手が描かれている場合
  2. コマに聞き手が描かれている場合
  3. コマに対象が描かれている場合
  4. いずれもコマに描かれてない場合

まずこの分類にガツンとやられました。 三項関係だから四分類を引き出せる。 無数のフキダシを分析する手掛かりを作る。 チャンク化です。 四チャンクにすることでフキダシを扱いやすくなる。 混沌から法則性を切り出せるようになる。

ここから出てくる結論もいいですね。 昭和初期までのマンガは一つのコマに三項目を描いています。 誰が・誰に・何の話をしているか、わかりやすくしている。 正確な情報を伝えるためにフキダシがあり、人物が添えられている。

ところが手塚治虫あたりから、この原則を崩し始める。 コマに話し手を出さない、聞き手を出さない、対象を出さない。 三項目のどれかを消すことで読者に緊張感を強いる。 次のコマで話し手が現れたり、対象が描かれたりするんじゃないかと読者の関心を引き付ける。 それがグイグイ読ませる技法として発展していきます。

項目の省略

三項関係の一部を省略する。 言われて初めて気づきました。 マンガ歴は長いつもりでいたけれど、まだまだです。 奥が深い。

項目の省略は、日本だから可能になったのかもしれません。 日本語では主語を省いたり目的語を出さなかったりができます。 欧米語ではムリです。 挑戦している小説家はいそうだけど、たぶん読者に違和感を抱かせる。 日本語ほど自然にはできない。

ということは文章でもできますね。 マンガに限ることではない。 三項目のどれかを省略し、読者の関心を次の文に引き付ける。 それが可能ということです。 小説ならできそうだけど、ブログでもできるだろうか。 ちょっと疑問が湧いてくる。

たとえば、ある概念について考察を深めるとき、その概念を登場人物として扱えるかどうか。 博士と助手が現れて、何かハウツーを紹介するパターンじゃないですよ。 概念自体をキャラクターと見なし、他の概念と交流しながら、その概念が成長したり変容したりする物語。 論文ではあるけれど、概念の成長譚でもあるような書き方。

アプリの紹介であれば、アプリを登場人物とし、仮想のユーザとの間で新しい体験を生み出していく。 そのプロセスを三項関係として描く。 それって可能だろうか。

まとめ

フキダシ論では「アッ」や「おーい」というフキダシを取り上げ、それが登場人物にどういう体験を引き起こすか考察しています。 これが、フキダシ自体をキャラクターと見なすメタ分析になっている。

確かに、このレベルにも三項関係はあるんだよなあ。 EVさん、すごいわ。