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Org modeは思考の普遍性に近づく

Loving my ECM Synchronika Espresso Machine|600 Backlink | Photo by Alex Müller on Unsplash

Org-mode

そうそう、この書き方。 句読点を使わず、文を改行で区切りながらのフリーライティング。 下書きの段階はそうなりますね。 iPhoneで句読点が打ちにくくて始めた方法ですが、すぐ指に馴染みました。

句読点を省くと、改行と空行がリズムパートを担当するようになる。 思考がゆったりと詩のロジックで進んでいきます。 空想が広がる。 まあ、書きやすいです。 句読点は原稿用紙。 それに対し、箇条書きは便箋に綴るような感じ。

(あとで気づいたけど本来「句読点」は言葉に存在しないからだ、きっと)

ただ全体像が捉えにくい。 その短所を補うためにWorkflowyを導入したのでした。 箇条書きをアウトライナーで扱うとちょうどいい。 全体も見えるし、部分も見える。

それをテキストベースにしたのが Org-mode ということですね。

Orgの普遍性

Orgの普遍性は「思考」をなぞっているからかもしれません。 人が考えるときに行っている様式と類似している。 誰だってそうする。 でも意識的には気づいていない思考の作法。 まあ「Emacsを使っている人なら」という条件付きでしょうけど。

アウトライナーの観点から見ると、その作法は三つ。

  • 並べ替える
  • 折り畳む
  • 近づく

思考はこの三つで出来ている。 いずれも、身体に起源がありそうな作法です。

並べ替える

順序を入れ替える。 アルゴリズムを考えること。 どういう手順で行うと間違いなくゴールに到達できるか。 ほら、プログラミングの基礎じゃないですか。

子どもだと、拾ってきた石を並べる。 手持ちの「お宝」は全部広げて見てみたい。 大きさ順で並べたり、色のグラデーションで並べたり。 そこに何か秩序を見出そうとします。 たぶんそれが「思考」の始まり。 混沌の現実から法則性を引き出そうとする。

並べ替えとは、個々の関係を見ることです。 カブトムシを観察しても「他とはどう違うだろう」と比較している。 それを「考える」と呼ぶ。

折り畳む

箱の中に片付ける。 カテゴリー分けする。

「全体」を考えるために距離を取る。 そのとき、個々の要素を視界に入らないようにします。 「折り畳む」はこれ。 名前を付けたりラベルを貼ったりして、メタレベルで操作できるようにする。 人間の一度に扱えるチャンク数が「7」だからかな。

これだけだと偏見と変わりません。 「A型の人はこんな性格だ」とステレオタイプに片付ける。 これもまた「思考」の持つ性質です。 個々の検証をする手間を省くことで労力を減らしている。 コスパですね。

思考は偏見と表裏一体の関係にあります。 考えるときには気をつけないといけないところ。 ラベルは折り畳むための方便に過ぎない。

近づく

顕微鏡で見る。 望遠鏡で見る。 どちらも道具で人間の「視力」を拡張しています。

「折り畳む」の反対が「近づく」です。 拡大して、その事象に集中する。 「部分」を考えるために、あえて「全体」を視野から外す。 「全体」を見ないのだから、これにもリスクがあります。 木を見て森を見ず。 システムで考えることを忘れてしまう。 見えているものだけで説明がつくと思い間違う。

構造はフラクタルですから「部分」を見ても「全体」があります。 ズームしても並べ替えがある。 折り畳みもあるし、さらに近づくこともある。 思考はこの三つを階層的におこなうことなのでしょう。

まとめ

「思考」は項目間の関係を記述する「並べ替え」なのだろう。 そのときメタレベルに視点を移す「折り畳む」と、微視レベルに移す「近づく」が使われる。 Orgはその三点をツールとしてカバーしているように思います。

でも「思考」が三点だけかと考えると、まだあるような気がする。