Jazzと読書の日々

iPadを筆記具として使う方法を模索します

書くことは思考ツールを作ること

man in black long sleeve shirt sitting on chair in front of computer|600 Backlink | Photo by Nubelson Fernandes on Unsplash

「書くこと」を考えてみると、そこには「変わること」がある。 読者の目線に立てば、何か文章を読むことで「読む前の自分」と「読んだ後の自分」に違いがある。 変化がある。 それは成長かもしれないし、退廃かもしれない。

どちらにせよ、何らかの変化があり、そのとき「私は読んだ」という体験が生まれる。 それが読書体験と呼ばれるものだろう。

執筆体験

書くことはその読書体験を引き起こすことであり、それには書き手の変化もある。 書く側も「書く前の自分」と「書いた後の自分」の間に成長(または腐敗や発酵)がある。 執筆者自身が変化し、その変化を読者に追体験してもらう。 それが執筆体験である。

それはツールを作ることに等しい。 何かスクリプトを組むにしても、そのスクリプトの前後には差異がある。 「できなかったこと」が「できること」に変わる。 長い文章が書きづらかったアプリが、スクリプトを組むことで、長文作成の利便性が上がる。 アプリの体験はツールの発明を通して別のものに変化する。

すると「書くこと」は「ツールを作ること」である。 もちろん、そのツールは目には見えない。 これを「思考ツール」と呼ぶことにする。 いわゆるアイデアやコンセプト、モノの捉え方のことだ。 「書くこと」によって思考ツールが組み立てられ、それが「書く前の自分」を変化させる。 すると「何かを書いた」という実感が得られる。 実感が出てこないとすれば、まだツールが未完成なのだろう。

思考ツール

思考ツールには三つの側面がある。 それは何であり、どう運用し、どんな体験を生み出すか。 what, how, whyの三点である。

whatは定義であり、スクリプトならコードを示すだろう。 howは「使い方」であり、具体的な事例での応用を描写する。 そしてwhyは目的、そのツールの利点や欠点の検討をする。 なので「書くこと」には三つの段階がある。 ツールを作る段階と、ツールを試す段階、そしてツールを伝える段階である。

ツールを作る段階はwhatの段階だ。 まだ「考え方」は生まれていないけれど、何か困っていることがある。 その混乱を整理し、そこからツールを抽出するために書く。 スクリプトを書くときにもエディタを使う。 同じように思考ツールを見つけ出すときもエディタを使うのである。 この「書くこと」がある。

ツールを試す段階はhowの段階だ。 思考ツールのタネはあるけれど、まだ実用に耐えない。 いろいろな場面を想定してバグを潰す。 使いにくい部分があればツールを修正し、デザインを調える。 練り上げていく。 これも「書くこと」である。

ツールを伝える段階はwhyの段階だ。 ツールを使うことで新しい体験が生まれた。 それを読者に追体験したもらえるように文章を起こす。 こうしたことができるようになります、便利です、と。 そのツールから生まれる目的を明確にする。

とすると「書くこと」にはwhatやhow、whyの段階が錯綜している。 スクリプトを書くことと、それを実際に使ってみること。 さらにそのスクリプトについて解説を書くこと。 この三つは異なる段階ではあるけれど、同じエディタ上で行われる。

目的も変化する

実のところ、作る前の目的と作った後の目的はズレる。

たとえばファイル履歴システムのRoomは、その前に組んだ蔵書管理システムの副産物である。 Book Searchというプラグインの出力を見やすくするにはどうすればいいか、それを考える中で生まれた。

副産物とはいえ、失敗ではないし、劣っているわけでもない。 RoomはRoomで「目的」を持っている。 「作る前」よりも「使っている途中」で気づいたことを組み込んでいる。 事後的に生まれた「目的」が実際の「目的」に仕上がっていく。

たぶん同じことは思考ツールでも起こるだろう。 最初の目的とは異なる用途が見つかるかもしれない。 それでも思考ツールはその価値を失わない。

まとめ

「思考ツール」という考え方を作ってみました。