「同一性 vs 流動性」の二項対立と読んでみた。
国家は葛藤する
いやあ、おじさんたちが元気だ。
内田先生と池田先生が「今の日本を憂える」のノリで好き放題喋ってます。 まあ、未来は暗いけど、こういう話をたまに読まないと元気が出てこないわな。
アメリカ大統領選前の対談なので、トランプになるかどうかわかってないわけですが、「トランプになるとして」の前提で近未来の予測をしている。 そうか、共和党では「日米安保はもう要らないんじゃない?」という話なのか。 そりゃあ、そうだ。
もし日本の自衛隊をソマリアやレバノンに常駐させるという話になったら「なんでうちの子がよその国のために死なないといけないの?」と家族から反発が来る。 そんなために自衛隊に入ったんじゃないのよ、と。
その事情はアメリカも同じで、さらに「日本って中国のどこかでしょ」というのが米国一般人の認識だから、その戦争で息子や娘が死んだら報われない。 救われない。 こりゃあ、米軍基地を撤退という話も出てくるなあ。
うん、いい話だ。 早く出ていってほしい。
さて、そうなったとき、日米安保廃棄になってどう日本を経営するか。 それを考えている政治家が誰もいない。 アメリカ抜きの防衛だけでなく、経済も含めて、誰も考えていない。 「プランB」がない。 野党にもない。 この指摘はごもっともです。
結局「日本はどうあるべきか」のビジョンがない。
安倍晋三のように「美しい日本」と言っても、あれは「美人なんだから身体を売ればいいじゃない?」という発想だからなあ。 国内企業の株とか、土地とかマンションとかを海外資本に買ってもらうことで外貨を獲得する。
身の切り売りだからね、アベノミクスって。 身体を売らせて、その上前をはねる。 まるでホストクラブのような政策が今も続いています。
自分探し
この「日本のビジョンの無さ」と対になるのが「本当の自分」という考え方。 「ありのままの自分」でもいいや。 どこに自分の「同一性」を置くかという話。 自己肯定感でもいいけど、軸がブレることを恐れている。
でも、日本は本来「我執をなくす」を美徳としてこなかったか。 無我を「おとな」の要件としてきたじゃないか。 成長とは「今の自分」を乗り越えていくことであって、そもそも「本当の自分」などに固執することではない。 状況に合わせて臨機応変にブレていく。 それが「おとな」のイメージだっただろう。
そういう話なんですが、どこかおかしい。
この「自分探し」の話は、内田先生も池田先生も気づいてないけど、「日本にはビジョンがない」という前半と矛盾しています。 読んでいて、これが気になったかな。
政治の話では「日本にはアイデンティティが必要」だったのに、個人の話になると「アイデンティティなんて要らない」になる。 おいおい、いったいどっちなんだ?
もちろん、大枠の「一貫性があるより、葛藤を抱えている方が現実的である」という図式はわかる。 矛盾があるから、状況に応じて変化していける。
一貫性に捕まると、頭でっかちになるからね。 正論を貫くために現状を無視して、撤退すべきところを逃してしまう。 第二次大戦中の日本軍みたいに「玉砕」に向けて突き進む。 これは避けねばならない。
でも「アイデンティティ」の問題は質的に違う。 「こうあるべき」というビジョンが欠けていると、むしろ目先の利益に踊らされてしまう。 それは個人も同じで「おとな」というビジョンがあることで「我執」から離れることができる。
ただ、そのビジョンを絶対視すると不都合が生じるわけです。 ビジョンを「仮目標」として、その「仮」であることを念頭に置いておけるかだろう。 当面の方向づけというかなあ、そんな感じの有効期限つき。 それと、現状に合わせて変化する「流動性」との二項対立を、行動原理として生かす方向というか。
やっぱり二大政党制というかな、それを「自分」に育てておく。 庶民にすれば、一党支配だと「共産主義国」だからね。 それは「こころ」のことでも同じ。
まとめ
「男らしさ」というアイデンティティは明治時代の富国強兵から、は「なるほど」と思いました。 兵役検査で「甲」を取れないと「男らしくない」とされた歴史ですね。
それまでの「男」という概念を歪めてしまった。 漢詩を吟じたり和歌を詠んだりすることに重きを置かれなくなって体育会系になった。 漢詩は楽しいのに。
あと「天皇制と立憲デモクラシーの両立」ですけど、「朝廷と幕府」の二重構造が今もあるんだと思いました。 日本人の「葛藤」は「尊皇攘夷か佐幕開国か」を脱しきれてないんだろうな。