Jazzと読書の日々

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ライフハックは倫理学である

アリストテレスを読んで「これ、ライフハックじゃん」という結論に至る。

ニコマコス倫理学

幸せとはより良く生きること。 より良く生きるとは自分を活かすこと。 そのためには自分の欲求を見つめ、それを思案し、適切な目標を選択しながら、行動を組み立てていく。 そうした「生きること」の考察をアリストテレスがしています。

倫理学」と訳されてますが ethika。 「エートスについて」という意味。 スピノザの「エチカ」と同じですね。 「エートス」は「習慣・特性」というニュアンスで「その人らしさ」に当たるもの。

「自分らしさ(卓越性)を大切に育てていくことが人としての幸せである」という考え方が基盤にあります。 倫理は道徳とは方向が違う。 道徳は社会を優先しますが、倫理は個人を先に考えます。 個人が幸福になるにはどういう社会が必要か、で倫理学になる。

実践知

ポイントになるのは知の分類。

人が「頭がいい」と言うとき三つの使い分けがされている。 一つは物事をよく知っていること。 花の名前を知り、その花が何月頃に咲き、その種を煎じるとどういう症状に効果があるか知っている。 そうした物知りの人を「頭がいい」と呼びます。

もう一つは新しいものを発明する人。 落ちている木切れを組み合わせ、捕らえた獲物を運ぶための手押し車を作ってしまうような器用さ。 荒れる川をダムで塞き止め、農地への灌漑水にしたりする。 そうした創造性溢れる人も「頭がいい」と呼ばれる。

そして最後に、人生を楽しんでいる人。 目先の利益に振り回されず、いつも大局観を持ち、他人の気持ちにも心を開き寛容である。 言うべき時には言い、行うべき時には行う勇気も持っている。 そうしたバランス感覚のある人も「頭がいい」と言います。

アリストテレスはそれぞれ「認識知」「制作知」「実践知」と呼び分け、互いが異なるものだと考えています。 認識知は反復可能なものを対象にしている。 観察や実験によっていつも同じ結果が得られるものが認識知の対象です。

それに対し「制作知」と「実践知」は予測不能なものを対象にします。 何が出てくるかわからない。 わからないけれど、そのときそのときで臨機応変に対応していく。 制作知と実践知の違いは「物を作るか作らないか」なのですが、たぶん少しニュアンスが異なりそうです。 「外部に働きかけるか内部に留まるか」で分けている。

これは古代ギリシア語の能動態と中動態の違いを指していると思います。 「制作」は使う動詞が能動態だけど「実践」は中動態なのでしょう。 実際「実践知」の理想形をアリストテレスは「中庸」と呼ぶのですが、元の言葉は「メソテス」で、これそのものは「中動態」という意味です。 いや、儒教の「中庸」も「道徳=タオに従う」だから同じ?

作為無しに自然と生まれる行動。 のちのストア派が「プロアイレシス」と名付けた理想的なあり方に繋がります。 そもそも「プロアイレシス」自体がニコマコス倫理学に出てくる用語で、実践知とは中動態的な振る舞いを指していました。

今なら「マインドフルネス」と言いそう。

体験分析

以前の図を再利用すると「実践知」は上記のようになります。

動物だと欲求を感じればすぐ実践(行動)に移る。 欲求と行動の間に隙がない。 取れる行動が本能によって決まっているので予測可能です。

人間はその部分が違います。 言葉が介在するため隙ができる。 時間差が生じる。 その隙に思案や選択を行うことができます。 それが人としてのエートスです。

思案は欲求を分析することです。 そもそもどういう状況に自分は置かれているのか。 ハイデガーが「情態性」と呼んだものであり、複数の欲求が入り乱れ葛藤しています。 それを捉えて整理する。 整理された欲求は「欲望」と呼ばれます。

選択はどの欲望を選ぶかです。 「欲望」がきついなら「目標」ですね。 何を行動の「目標」とするか。 それが選択段階で行われていることです。 ハイデガーなら「投企性」のこと。 難しくはありません。 英語で言えば「プロジェクト」です。 プロジェクトを決めてから、それを具体的なタスクに落としていく。 ToDoリストでおなじみの作法。

存在と時間』ってアリストテレスの注釈なのかな?

まとめ

そして実践知とはライフハックのこと。 深ぼりすれば歴史がある。