Jazzと読書の日々

iPadを筆記具として使う方法を模索します

民主主義は道教である

オードリー・タンの対談が刺激的でした。

オードリー・タン

台湾のデジタル大臣だったオードリー・タン。

そうだよなあ、こういう「ハッカーな人」がデジタルしてくれないと、そりゃあ、政治のデジタル化なんて先には進みませんわ。

公開してから逝け

まず、度肝を抜かれたのが「公開してから逝け」という考え方。

自分が体験したことを文章に残し、それから死ぬべし。 どんなつまらない思いつきでも、それを自分が書き残さなければ、もし自分が死んだら、この世界から消えてしまうじゃないか。 それを惜しむ心のことです。

「アイデア」に対する愛情というかな。 自分自身を「アイデアがこの世界に生まれ落ちるための通路」と考えている生き方ですね。 そうそう、生き方。 単なる「考え方」を超えて、生きることに直結しているテキスト観です。

どうも、オードリーは生まれたときから心臓病を患っていたらしい。 余命宣告されていた。 子供の頃から「死」について考え、「もし二度と目覚めなかったら」と思い、寝ることさえ怖かった。

さいわい移植手術を受けることができて今に至る。 でも、メメントモリ。 いつも死について思いながら生きてきたから「公開してから逝け」が身体化されています。

民主主義は道教である

そうした人だから、宗教観が身体に根差しています。 「直接民主主義道教に他なりません」。 この「道教」はたぶんタオイズムのことで「老荘思想」と取るのがいいかもしれない。

この世界は百花繚乱である。 それでいい。 矛盾や葛藤を抱えているが、それが根本原理である。 それでいい。 人の目からは陰陽二気の二項対立に見えるかもしれないが、本質は「タオ」である。 タオは無限に生々流転し、変化を止めることがない。

だから人間社会において意見の対立があるほうが自然である。 どちらも何らかの真理を捉えつつ、けれど言い足りない。 その話し合いの中で少しずつ社会が変化していくところに「民主主義」があるのではないだろうか。 タオは流動体なのだから。

二項対立を「対立」と捉えないところ、それを「変化を駆動する原理」と見立てるところに「あるべき民主主義の姿」が垣間見られます。 いいね。

オードリー自身がLGBTの人なので「性別」に関しては「該当なし」と表記してるそうです。 徹底しているなあ。 二項対立から抜け落ちるポジションから見ている。

デジタルなんて「0」と「1」の二項対立じゃないですか。 それが森羅万象を表現する「言葉」となっている。 そうしたタオイズム。 その「多様性」に身を置いています。

精神分析の身体性

ある種の身体性が対話に必要なことをオンライン会議に絡めて語っているところで、精神分析の話が出てくるのもすごい。 フランスまで分析を受けに行ってるそうです。

精神分析が「治療」のツールではなく「自己発見」だという認識ですね。 日本の政治家で精神分析を受けてる人なんて聞いたことないけど、台湾では当たり前なんだろうか。

自分を見つめるための時間を生活の中に作る。 確かに精神分析は「言葉」を主たる道具にしていますが、それだけだと先に進めません。 オードリーが語るように、相手にこちらの「思い込み」を投影してしまい、自分で自分を「枠」にはめてしまう。

その「思い込み」や「枠」に気づくようになるには「他者がそこにいる」という身体性が必要になります。 たぶん、ですけど。 どうもオンラインで面接すると、そこあたりがうまく機能しないらしい。

とはいえ、週に何回もフランスに出かけるのは現実的ではないので、普段はリモートで面接を繰り返し、半年に1か月は渡仏して直接会うよう心がけているそうです。

そうした中から「奉茶運動」とかの、コミュニティづくりが生まれてきたんだろう。 これは人間への信頼というか、人と人が出会うことは基本的に「良いこと」という立場です。 直接出会う「間」に「人間」が生きている。

一人で考え込んでいても、自分の「枠」から出ることはできない。 どんな理由であれ、他者と出会うところ、衝突するところに「民主主義」が生まれる。 それも、互いの身体がその場にいることが条件。 その「民主主義」を小さなコミュニティで育てていく。

デジタル社会を考えるとき、この「他者の臨在」をどう組み込むか。

まとめ

Obsidian Web Clipper 0.9.4
分類: 仕事効率化,ユーティリティ
価格: 無料 (Dynalist Inc.)

ということで、この記事をObsidianにクリップしました。

困ったのが、このサイトのタイトル。 何がまずいかというと、連番に「#」が使われているところです。 Roomで開こうとすると「#」以下のところは「見出し」だと解釈しちゃうんですよね。

クリップ自体は対談のところだけ抜き出していて、読み直すには適切な長さになっています。 サイト自体が消えても記事が残る。 これもObsidianの利点だと思うので使い続けたいのだけれど。