Jazzと読書の日々

iPadを筆記具として使う方法を模索します

ポストフェストゥムとしての【推しの子】

Abemaで1期一挙無料放送になってて復習しました。

推しの子

ABEMA(アベマ) 新しい未来のTV 19.87.0
分類: エンターテインメント
価格: 無料 (株式会社AbemaTV)

リアルタイムで第1話(と言っても1時間あるけど)を見てなかった。 ニコニコで「ゲッターロボ」とコラボしてから追いかけたのでした。 なので初めの方を見てない。 今回その分の視聴ができました。

この第1話の完成度が高い。 これで一つの「物語」になっています。 むしろ、いま放送しているのは「後日談」ではないか。 アイというアイドルの物語が主であって、その子どもたちのアクアやルビーはオマケじゃないか。 そんな気がしてきました。

なにしろ「ウソを突き通して本当にする」がテーマです。 親に捨てられ施設で育った少女が上京し芸能界に入る。 「愛してる」とファンに呼びかけても、その「愛」の意味がわからない。 でも子どもたちと暮らす中で徐々に演技の幅も広がり、感情も豊かになっていく。 そしてストーカーに襲われ、命が尽きようとしているとき子どもたちに「愛してる」と囁きかけ「ああ、これは本当の気持ちだ」と気づく。

これ、昭和の漫画だったら、これだけで50巻行けますよ。 途中でお金持ちで努力家のライバルを出せばいけます。 「紅天女」とか目指すだけで何十年も連載できます。

でも平成・令和ではそのパターンはもう使われない。 呆気なく第1話で「物語」を消費してしまう。 そのまま「後日談」がメインストーリーになります。

ストフェストゥム

このパターン、最近見たような。

そう考えると「フリーレン」ですね。 ヒンメルが亡くなってからストーリーが始まる。 あるいは「無職転生」もか。 転生後の人生をやり直す中で、前世を振り返り「あのときの両親もこんな気持ちだったのだろうか」とパズルのピースが埋まっていく。

これを「ポストフェストゥム」と言います。 「祭りの後」という意味のラテン語で、気づいたときにはもう遅い。 「祭り」はすでに終わっていて、自分だけが取り残されたように感じる。 木村敏という精神科医が名付けました。

よく考えると「異世界転生もの」全般にこの傾向はあります。 普通に冒険ものファンタジーで良ければ「前世」を出す必要はない。 「前世」は「すでに終わった」という感覚を表します。 本当の「祭り」は終わっていて、転生後は「後日談」なのです。

なぜ「後日談」が繰り返し描かれるのか。 それは今の若い世代が「すでに祭りは終わってしまった」と感じているからでしょう。 その「祭り」は象徴的には「バブル」と呼ばれます。 もっとも当時は「バブル」という言葉はなく、若者は「マルビ」だったんだけど、なぜか「バブル」の頃はみんな景気が良かったみたいな幻想が蔓延している。 ありゃあ、ウソですよ。 マハラジャに踊りに行ってたけど、時々ですよ、時々。

もうちょっと違うことかもしれない。 ウォークマンを聞いて、VHSで録画する。 「何か変わるぞ。未来が来るぞ」という気配はありました。 パソコンが普及し、ソ連が崩壊し、インターネットが身近になってきた。 ノストラダムスもその流れにあった。

今その気配が消えてますからねぇ。 「祭りが来るぞ」の前夜祭的な雰囲気が続いて、そのまま「祭り」が来なかった。 その印象の方が正確かな。 若い人たちは、そうした年寄りたちの「空振り感」に当てられて「祭りは終わった」と思っているのかもしれない。

あと「大きな物語は終わった」もそうかな。 あの「大きな物語」は帝国主義のことだからねぇ。 終わっていいんですよ。 マルクス主義とか米帝とかの「西洋一番主義」。

欠けているもの

「祭り」とは何か。 異世界転生で描かれるのは「現代に欠けているもの」です。 何が欠如しているかを「異世界」を通して考察している。 そう読める。

「フリーレン」はわかりやすいです。 「人の心を知ろうとすればよかった」と言ってますから。 「無職転生」は「家族」ですね。 いろんな形で「家族」を再構築しようとしている。 「このすば」になると「戦わなくていいじゃないか」なので戦わない。 でも、カズマさんはやるときゃやる男です。 競争から降りてもしぶとく生きる。

問題は「推しの子」。 1期の時点では、アクアが何を求めているか不明です。

そもそも赤ん坊の段階で「自分はなぜ殺されたのか」を考えてないのが腑に落ちない。 命を落としながら「推しの子に生まれて幸せ」で思考が止まっている。 いやいや、そこで事件について考えていたなら、アイも殺されずに済んだかもしれないじゃないですか。 亡くしてから「真犯人を見つけ出してやる」ってそれこそ「後の祭り」です。

原作を読んでないから「落としどころ」が見えない。 「犯人がわかりました」じゃ、話が進みません。 それでアクアはどう生きていくのでしょう。 前世で何をし残しているのか。 そこがとんとわからない。

「祭り」はいずれも鎮魂祭です。 荒ぶる神の心を鎮め、死者の魂を慰める。 祭りを通して、人々の心にある「わだかまり」に成仏してもらう。 全然景気のいいものではありません。 むしろ不幸な体験を語り継ぎ、風化させないために「祭り」を行うもの。

もしアクアに欠けているものがあるとしたら、自分の「わだかまり」と向き合うことじゃないかな。 「人助け」に目が向きすぎて「自分」を後回しにしているかもしれない。 そもそも前世も何科のお医者さんなのかわからない。

まとめ

2期で掘り下げが来るといいかな。