フリーレンの最終回、良かった。 デンケンが沁みます。 2期、早よ。
スマートな悪
スマートな社会。 それ自体は良くも悪くもないんだけど、そこに「スマートな悪」が含まれている。 それに警鐘を鳴らし、抵抗するすべを模索しているんだけど、オウム真理教の話が出たりイリイチのコンヴィヴィアリティが出たりしているうちに「ガジェット」という概念に行き着き「これだ!」と飛びついて「ガジェット礼賛」になっていく。
これは戸谷先生も初めから結論があったんじゃなく、書きながら「なんかいいものないかな」とフラフラして、棚からぼたもちで「ガジェット」に遭遇したようですね。 「ガジェット」。 なんと面白い概念を見つけたことだろう。
「ガジェット」の語源は「名前のわからないもの」です。 漁師さんが手許の道具を駆使して漁をするけど、改めて尋ねられるとその道具の名前を知らない。 そういうのをひっくるめて「ガジェット」と呼んだのが始まりだそうです。
どうも「諸説あります」の由来不明な用語らしい。 フランス語の「釣り針」が近そうだけど、漁師さんらはフランス語を知らないから「これもガジェット、あれもガジェット」で済ませている。 この「ガジェット」。
それがパソコンオタクのスラングになって「何に使うかわからない小物類」を指すようになる。 そうか、これが「スマート」に打ち勝つ武器だったのか。 たしかにムダの塊だものなあ、ガジェットは。 「役に立つ」とは別のところで増殖していく。 ガジェットそのものは「ガジェットを使う」が目的なので自足してるんですよ。 遊びの最たるもの。
ガジェット
この「ガジェット」を「システムにありながら、個人がカスタマイズし、システムの想定していない可能性を開くもの」と定義し直す。 定義を拡張するわけです。
すると、ほかでもない、このブログでやってることでした。 なんだ、すでに「スマート化する社会」と戦っていたのか。 自分がやってることを言語化してもらえてうれしい。 ブラウザにブックマークレットをつける、エディタにマクロを組み込む、データベースの新しい切り取り方を考える。 いずれも「ガジェット」なのです。
カスタマイズして、デフォルトではできなかった使い方を生み出す。 一つ一つは「名」もないし、言ってみれば「ムダの塊」なのだけど、まあ、楽しいですね。 これまでとは違った地平が広がる。 それが「ガジェット」ということです。
「スマート」について「機械化は最適化されると一元的になる」は「なるほど」と思いました。 自動車は便利な乗り物だけど、その自動車が普及すると道路がそれに合わせてアスファルトで舗装される。 より便利で快適になるように環境が変わっていきます。
道路が整備されると流通が変わり、生産や販売はコントロールしやすいように定型化され、物事がデータ化しやすくなる。 最適化が最適化を加速させる。
その最適化に適応できないものは排除されます。 車に乗れない人は「弱者」になる。 人々は「弱者」にならないために、自らの生活を機械化に最適化する。 スキルアップ、スキルアップ、スキルアップ。 その「スキル」とは、すでに用意されている「システム」に組み込まれることです。 そうした人が増えれば増えるほど「システム」はよりシンプルに、効率良く、スマートになる。
「ガジェット」はその流れを受け入れつつ、ちょっとだけ穴を穿つ。 想定されていない使い方を発見することで、こちら側から「システム」に働きかけます。 機械化する社会へのオルタナティブになる。
銀河鉄道999
ただ、こうした考え方はどこか懐かしく思います。 『銀河鉄道999』で見た覚えがある。
機械化すると人は肉体の苦しみを持たず、永遠に生き続けることができる。 テツロウはその機械化を目指して宇宙を旅するわけだけど、でもそれは人として幸せなことだろうか。 いろいろな星で、いろいろな人々の暮らしを見ながら、そんなふうに考え方が変わっていく物語です。
あるいはレヴィ=ストロースの『野生の思考』。 あそこで出てくるブリコラージュが「ガジェット」ですね。 とりあえず手許にあるもので間に合わせる。 レンガをハンマーの代わりにしたり、落ちている枝を釣り竿の代わりにする。
それはデリダの脱構築の伏流でもあり、あれもまた「スマート化する社会」への抵抗の仕方だったのだろうなあ。 敏感な人たちはすでに半世紀前に気づいていた。
この本でも「列車」は「スマート」の象徴として何度も出てきます。 アウシュビッツ収容所にユダヤ人を効率良く運ぶ手段として。 日本の高度成長期に発達した「満員電車」という通勤手段として。 そして「効率良く人を殺す」地下鉄サリン事件として。
「列車」は「人をモノとして運搬するシステム」です。 何両編成で、何分おきに、どの経路を取れば最適になるか。 乗っている人が快適かどうかは二の次になる。
地下鉄サリン事件を「スマート社会」への抵抗として読み取るのは斬新でした。 「列車+毒ガス」はそのままアウシュビッツですからね。 地下鉄の「スマートさ」はそのまま「効率のいいテロ行為」と直結しています。 わざわざ社会が破滅の準備をしている。
穴のあるシステム
ゲシュテルから「社会の燃料」の話に行くかと予想していたのですが「社会の歯車」止まりでした。 システムに組み込まれた歯車になる。 それに抵抗する方略として「自分自身を社会のガジェットにする」という提案になっています。
面白い落としどころだけど、具体的なイメージが出てこない。 Jポップの歌詞の話になっていくのもわからないでもないけど、みんなが歌い手なわけじゃないしなあ。
アイデアが良すぎて、書き手のイメージが追いつけないまま原稿の締め切りが来ちゃったパターンかも。 「先生の次回作にご期待ください」だろうか。 こういうのはライフワークになっていって深めるものだし。
それに戸谷先生が「答え」を書いてしまうと、今度はそれが別の新しい「スマートなシステム」になってしまうものね。 「閉じたシステム」への対抗策が「閉じたシステム」では閉塞感が半端ない。 それはすでにカルト宗教がやってることで、その「カルト」への最適化が生じるだけです。 この道も避けねばならない。
ポイントは「ガジェット化」です。
そうした概念が手に入った。 あとは各自が好きなようにこれをカスタマイズし、生活を面白くしていく。 順応主義に陥らず、かといって山にこもって霞を食べるのでもない。 ほどよくお金も稼ぎながら、ちょっとずつシステムに風穴を開けていく。
まとめ
ガジェットの「名前を持たない」という特性は重要な気がする。 自分で自分を規定しないってことだよな。 「スマートな社会」は「あなたは〜です」と役割を規定し、それ以外のことを考えなくていいようにしてくる。
考えないのは楽だけど、この楽は楽しくない。