Jazzと読書の日々

iPadを筆記具として使う方法を模索します

Obsidian Cardy は思考をぐちゃぐちゃにする

いい感じになってきました。

Cardy

Kanbanプラグインで異次元のエディタを実現するアクションです。 「異次元」って何かわかりませんけどね。 まあ「こんなの、ほしかったなあ」と思えるような何か。

今回はスタイルも込みで変換します。

Cardy.md

Templaterスクリプトで平文をカンバン表示に切り替えます。

<%*
const css = ".kanban-plugin__board{background:#eee;}.kanban-plugin__lane-wrapper{margin-right:10px;}.kanban-plugin__lane-wrapper div{background: #fff;border:0;border-radius:5px;}.kanban-plugin__lane-grip{color:orange;}.kanban-plugin__item-wrapper{margin:0;}.kanban-plugin__item{border-bottom:1px solid #eee !important;border-radius:0 !important;}"

s = tp.file.content
d = document.getElementById("Cardy")
if(d){
  s = s.replace(/^---\n[\s\S\n]+\n---\n\n/, "")
  s = s.replace(/%% kanban:settings\n[\s\S\n]+\n%%/, "")
  s = s.replace(/^- \[.\] /mg, "")
  s = s.replace(/##+ \n+/, "")
  s = s.replace(/^##+ /mg, "#### ")
  s = s.replace(/\n\n+/g, "\n\n")
  d.remove()
}else{
  s = s.replace(/^([^#])/mg, "- [ ] $1")
  s = "---\nkanban-plugin: basic\n---\n\n#### \n" + s
  e = document.createElement("style")
  e.id = "Cardy"
  document.body.appendChild(e).innerHTML = css
}
e = app.workspace.activeLeaf.view.editor
await e.setValue(s)
await app.workspace.activeLeaf.rebuildView()
s = "obsidian-kanban:toggle-kanban-view"
await app.commands.executeCommandById(s)
%>

再度実行すると元の平文に戻ります。

使い方

どうも編集後だとうまく切り替わりません。 チェックボックス付きに変換して止まります。 2回繰り返すと乗り越えるけど。 そのときは「Kanban: カンバンとマークダウンのモードを切り替える」で表示を切り替えてください。

ファイルを開き直すのでも構わないようです。

わかり方

20年前の著書だけど読み直すたびに味わいが深い。 「わかる」ということを「できる」や「おぼえる」「あそぶ」との対比で考察しています。 認知心理学の実験から得られた知見を、哲学的でありながら教育現場にも応用できるように噛み砕いている。 この20年人工知能に目を奪われがちなので「人とは何か」に回帰するためには外せません。

「わかる」には二つの立場があって「とりあえず知識を貯めておくとやがて応用できるようになる」という記憶優位の考え方と「体験しながら楽しく学習するとそれが身につく」という体験優位の考え方があります。 よくある教育論というか。

ところがこのどちらも実験では否定される。 情報が知識として再構築されるには質的な変換が必要になる。 それには「わかる」というプロセスが重要になってきます。

個人的には「背の高い人が歯ブラシを買った」みたいな短文を記憶する実験が面白い。 数学の公式を記憶するのと同じです。 似たような文章を次々覚えようとすると、古い方から忘れていきます。 情報はバケツに入れるようには蓄えられていきません。

かといって「その場面をイメージして覚えましょう」と記憶術を取り入れてみても、少し記憶量は増えるけれど実質的には効果がない。 体験を組み込んでも、それだけでは定着しません。 体験は保守的というか、見たいようにしか見ない。 何かが欠けている。

実際に効果があるのは「なぜだろう」と動機の推測をしたときです。 それも反対例の動機である「なぜ背の低い人は歯ブラシを買わなかったのか」と考える方法が記憶の定着に効果がありました。 もちろん実験に過ぎないので本当の動機とかはありません。 各自が勝手に理屈付けしていい。 自分で納得できる理由を探すところが肝です。

カンバンもそうですけど、カードを並べただけでは知識になりません。 カードを並べ替えながら「これと関連ありそうなのはなぜだろう」と考えていく。 手を動かし「なぜ」と向き合う。 そういう作業から「ああ、そうか」と屁理屈が出たり「そうだろうか」と迷いも生まれる。 「わかる」と「わからない」がくるくる回ってわかっていく。

このプロセスを言葉に載せれば、読者にも同じ楽しみを体験してもらえるわけです。

まとめ

でも考え出すと「わかる」がわからなくなるのが面白いところ。