Jazzと読書の日々

iPadを筆記具として使う方法を模索します

LifeLogで「日々の暮らし」をログしよう

レシピ内の最後のところで保存先を設定します。 Obsidianのフォルダを指定してください。 もちろんLogseqのフォルダを設定すればLogseqにも対応します。

LifeLog

Obsidianのデイリーノートにメモを残すショートカット・レシピ。

Safariからブックマークもできるのですが、最近Kindleの取得に失敗するので調べたら、またアマゾンのソースが変わってました。 とりあえずの対応版。

Import Shortcut RecipeLifeLog

使い方

基本形は「ホーム画面に追加」でアイコン化し、それを起動します。 入力画面にメモを書けばそれが追記される。 Obsidianを起動しないので保存が速い。

1行目を空行にすると、それ以降の項目をチェックボックス付きリストにします。 この方法でタスクの追加も簡単。

Safariから

Safariの共有から起動するとデイリーノートにブックマークします。 はてなブログカードを採用しサムネ付きになります。 もしサイト内の記事を選択していたときは、その部分も転記します。 Webクリップの簡略版だけど、たいていこれで事足ります。

YouTubeだと動画プレーヤーになり、アマゾンだと書影付きカードを作成します。 これをコピペすればブログの記事も書きやすい。

図も組み込む?

Thinoと同じ形式なのでThinoからも確認できる。 Thinoがブログカードの表示にも対応したので、その日何を見、何を考えたか振り返りやすくなりました。

ただ紙の手帳もよく使いますね。 図を描いて考えることも多い。

そういうのは何枚も似たような図を描くので、デジタルは不向きです。 いくつも描いて比較して、だんだんと考えがまとまってきます。 「書き捨てる」という使い方です。

「手を動かすところ」に何かが関与するのかもしれない。 「頭」だけでは完結しないものが参入してくる。 「図を描く」はそんな発想法だと思います。

こういうのも写真に撮ってデイリーノートに残せばいいのかもしれませんが、まだ実験していません。

まとめ

手数を減らすことができたらいいのかな。

「利他・ケア・傷の倫理学」の違和感

最近「利他」という言葉を見かけるようになった。 もしかしたら、そのこと自体に違和感を感じているのかもしれません。

利他・ケア・傷の倫理学

本屋さんで気になったので読んでみました。 ケアの現場についての考察かと思っていたのですが、どうもそうではありませんね。 もっと基礎的なところを哲学的に深める内容になっています。

「利他」や「ケア」という言葉が最近よく使われるが、その内実はなんだろうかと考えていく。 キーワードに「言語ゲーム」を用いることで「ゲーム間の飛躍」を取り出し、他者や多様性について安易な結論に飛びつかないような道筋を探っています。

とくに「叱る」について肯定的に語られることが多いけど、「相手をコントロールしたい」という支配欲なんだから、そこに「ケア」はない。 「ケア」とは「ケアする側の言語ゲームが変わる体験」だ、と。 ここが切れ味のいい指摘だと思いました。

心が傷つく

でも根本的なところがピンと来なかったです。 「道徳的にはAせざるをえないけれど、それは倫理的にどうなんだろう」という論の進め方なのですが、この「A」がわからない。 道徳と倫理を分けるのは倫理学の常道なので、そこは置くとしても、「道徳」とされるところに実感が湧きませんでした。 それはなぜだろう。

たぶん、ある世代から「道徳」が変質してますね。 大平先生の『やさしさの精神病理』で「やさしさの意味が変わってきている」と言われていたけど、変わったあとの世代がいま社会の中心になったのかもしれません。 というのも近内先生が「傷」として挙げる例がことごとく「それでなぜ傷つくのだろう」と不思議に思うからです。

教科書を忘れて授業に出たら、隣の席の子が教科書を見せようかどうか悩んでいる。 そのとき「相手を傷つけないために」寝たふりをしてその場を過ごした。 それを「利他」の例として挙げられても「見せてもらったらいいやん」としか思えない。 これのどこが「やさしさ」なのか、オジサンわかんなかったです。

「心」のイメージが「ガラスか何かの固形物」なんだよなあ。 固くて脆い固体でできていて、衝撃を受けると割れたり砕けたりする。 ここがピンと来ない。

自分自身の体感では「心」は「気の流れ」のような流動体です。 渦を巻いたり淀んだりはするけれど「傷つく」とはなりません。 衝撃があとを引くことはあっても不変ではない。 日本語の用例で「気詰まり」はあっても「気が傷つく」はない。

「傷つく」と言われて連想するのは「家名が傷つく」です。 まだ「イエ制度」が残っていて「イエの名前に泥を塗る」とか言われ、それと戦ってきたのが「私ら」です。

といっても団塊の世代とも違います。 団塊の世代は「マイホームパパ」とか呼ばれ「男は仕事、女は家事」という男尊女卑な価値観を残している。 この世代の人たちは「プライドが傷つく」と言ってました。 元は「男のプライド」というつまらないものです。 そのあと「自己肯定感」と言い換えられても、やはりつまらない。

「イエ」も「プライド」も捨てた世代がしばらくあって、それが「私ら」。 夜の校舎、窓ガラス壊して回った世代。 でもそのあと阪神淡路大震災が起こります。 そこあたりから「トラウマ」が語られるようになった。 「心が傷つく」はその言い換えでしょう。 スクールカウンセラーが急速に認知され、何でもかんでも「傷つく」と言い始める。

そして「心の傷」の時代が到来した。 英語とかでも「I'm hurted」と言うから「傷つく」は外来語的な発想でしょう。 それが社会に刷り込まれることで海外から輸入された「ケア」が効力を持ち始めた。 「毒」をばらまかれてから「薬」が届く。 エビデンスがあって当たり前。 マッチ・ポンプです。 そうした時代を今の人たちは生きている。

近内先生はそこに無自覚なまま「このゲームはおかしい」と言ってるけど、そりゃあ、おかしな「ゲーム」をしてるからですよ。 渦中にいて抜け出せないのが今風だけど、前提がそもそも「特殊」じゃないでしょうか。

ミュトス

今回勉強になったのが「だったことになる」という考え方です。 これはすごいな。 「ケア」の本質をついている。 この感覚は中動態ですよね。 自分自身が変化することは自分自身ではできない。 他者からの呼びかけで「自ずからそうなる」という形を取ります。

長年アリストテレスの『詩学』に出てくる「ヒストリア」と「ミュトス」の違いについて悩んでました。 どちらも「物語」という意味ですが、これをアリストテレスは使い分けている。 ヒストリアは「伝記物」のことです。 ホメロスの『オデュッセイア』のような長編文学を指し「ヒストリー」や「ストーリー」の語源になっている。

ミュトスは「神話」と訳されることもありますが「ミステリー」の語感でしょう。 ギリシア悲劇のプロットを論じるとき「ミュトス」が使われます。 ミュトスはヒストリアにない構造を持ち、それが物語に浄化(カタルシス)をもたらす。 このときポイントになるのが「再認」で、これが何を指すかわからなかった。

「再認」を「だったことになる」と取ると「なるほど」と思います。 ラカンが「ルコネッサンス」と呼び検討しているのも、それが「ケア」の核にあるからですね。 ヒストリアは因果関係の連鎖です。 過去の出来事によって現在の出来事が生じる。 因果応報の固定した「ルールの世界」を生きています。 生きとし生けるものに逃れるすべはない。

対してミュトスではその因果性が逆転します。 現在の出来事によって過去が再解釈される。 「今こうなって気づいたけれど「あのときのアレ」はこのためだったのか」と了解する。 これがギリシア悲劇に埋め込まれている構造です。 説明ではなく了解。

これを「ミュトス」と呼ぶ。 なるほど「伏線の回収」が物語の命。 もう涙無しには見られない。 ミュトスが起きるとき、そこまでの出来事すべてが肯定される。 「なんてこった」もあるし「ああ、良かったね」もあるけど、決して無駄なものは一つもなかった。 物語が癒される瞬間に立ち会う。 それがカタルシスです。 まず物語が救われる。

アリストテレスが「哲学的なのはミュトスのほう」と言うのもうなずける。 バカボンのパパみたいに「それでいいのだ」と世界を言祝ぐ。 たとえ苦しい悲劇であっても「生きてきたこと」自体は肯定できる。 なるほど、長年の謎が氷解しました。

もちろん「現状肯定」ではありませんよ。 人は変化する。 その変化によって「過去」も含めた世界が変化する。 その変化を肯定することです。

まとめ

この本を読んで良かったなあ。 また「私」が変化した。

Obsidianで画像のサムネールを一覧表示する

古いネタを発掘しています。

dataviewでフォルダ内の画像を一覧表示。 タップすると元画像が開く仕組みです。

ファイル名を見ても中身はわからないですからね。 表示してみて「君かぁ」となる。 とくにassetsフォルダはごちゃごちゃしやすいので整理に必須です。

変更点

更新日順に並べることにしました。 新しいファイルが先に表示されます。

```dataviewjs
const folder = dv.current().file.folder + "/"
const cache = Object.entries(dv.app.metadataCache.fileCache)
const d = dv.array(cache)
    .filter(([x,y]) => x.includes(folder))
    .filter(([x,y]) => /\.[jpg|jpeg|png|gif]/i.test(x))
    .limit(1000)
    .sort(([x,y]) => y.mtime, "desc")
    .map(([x,y]) =>  `[![[${x}|220]]](${encodeURI(x)})` )
dv.paragraph(d.join("\n"))
```

dataviewプラグインをインストールしてお使いください。

使用例

assetsフォルダにgallery.mdという名のファイルに作り、上記スクリプトを貼り付けます。 するとフォルダ内のサムネ一覧の出来上がり。 タップすれば元ファイルが開きます。 gallery.mdは自分のいるフォルダをターゲットにします。

サムネを長押しするとポップアップメニューが出ますが、そこを無視し、サムネをもう一回タップするとファイル操作のメニューが出ます。 サムネ一覧のままリネームや共有が使えます。 削除はできないので、そのときは元画像を開いてください。

まとめ

PDFも表示されるけど、埋め込み扱いでサムネにならない。

ObsidianのデイリーノートはThinoにおまかせ

「Obsidian Memos」で検索してる人が多いみたい。

Thino

「ティノー」と読むのかなあ。 ハリーポッター用語らしい。 MemosはいまThinoになっています。 これは呟くためのプラグインで、デイリーノートにタイムスタンプ付きで記録されます。 ローカルで完結する旧Twitterみたいなもの。

「Obsidian デイリーノート」で検索するとTemplaterでカスタマイズする方法がヒットしますが、そうした仕込みが不要になるのがThino。 呟いていれば、そのままデイリーノートが更新される仕組みです。

インストール

インストールは下記リンクをタップしてください。

Import Obsidian: Thino

Obsidianが起動し、Thinoプラグインが表示されます。

「インストール」をタップすればOK。 あ、先に設定の「コミュニティプラグイン」で「コミュニティプラグインを有効化」してくださいね。

「コミュニティプラグイン」の「Thino」でスイッチをONにします。 左サイドパネルのリボンに電球マークが追加されるので、それをタップ。

これでThinoが使えるようになります。

設定

有料版はネット上で共有する場合ですね。 中国版Twitterみたいなサービスと連動します。 Obsidian内で使う分には無料のままで構いません。

「Thino」のところの「Use Tags In Vault」をONにすると、本体と同じタグが付加できるようになります。

「Interface」の「Theme for Thino」は「Classic」にします。 「Modern」は有料版用のインターフェイス

「Advanced」の「Default Editor Mode」は「Source」に変更。 「Live-preview」の動作がいまいち安定せず、頻繁に修正されているからです。

とここまで書いて気づきましたが、最初にThinoを起動すると、これらの項目を尋ねるようにアップデートされてました。 わざわざ設定を開かなくてよくなってます。

サイドパネルに移す

左サイドパネルにThinoを移すと、ほかの文章を書いている最中でもアイデアを残すことができます。 右肩にある「…」にコピーボタンがあるから引用もしやすい。

サイドパネルに移すには、まずサイドパネルをピンで留めます。 それからThinoのタブを長押ししてドラッグ。

上の図のように、サイドパネルの下半分が選択状態のときに指を離してください。 これでThinoを追加できます。

サイドパネルの右肩にある拡大ボタンを押すとフル画面になります。

Queryで検索できるしタイムラインの表示もできる。 デイリーノートを分析するのにもってこい。 書きためたメモが無駄になりません。

まとめ

LifeLogと一緒に使うとSafariのブックマークも残せます。

Textwellにコルクボードの仕組みを込める

テキストを「箱」の集まりと見なす。 すると文章の組み立てが楽になります。

アウトライナーだと記事に変換するのが面倒じゃないですか。 それなら記事のままアウトライナーの所作ができるに越したことはありません。

箱メソッド

「見出し+内容」をセットに書く方法。 Markdownを装飾ではなくテキストの構造化に使う作戦です。 アウトライナーの作法を応用し、文章を組み立てる。

Obsidianの方法論は固まったのでTextwellにも広げてみます。

Zoom

アウトライナーのズームに当たるアクション。 カーソル位置に応じて現在の「箱」のみを表示/編集します。 スライドカーソルが使える。

Import Textwell ActionZoom

今回の変更点は「メニューをやめた」です。 内蔵ブラウザを閉じるとキャンセル扱いになります。 書いた文章を保存するのは「キーボードを閉じる」だけにしました。 この疾走感がいい。 メニューは思考を中断するんじゃないかと思う。

空行で実行したときはタイムスタンプを見出しにしました。 「見出しはあとから考えてもいい」という割り切りです。 中身が固まってからタイトルを決めてください。

Index

Obsidianの「アウトライン」に当たるもの。 文中の見出し(ただしレベル4のみ)を一覧表示します。 内容も二行ほど表示する。 左上の「▶︎」で中身のブロックも展開。 タップすればその「箱」にカーソルを移します。 そのままZoomで編集に移ることもできます。

Import Textwell ActionIndex

こちらもメニューは廃止しました。 閉じればキャンセルになります。 並べ替えなどの変更を有効にするには、カードをタップして「箱」を開いてください。

範囲選択していると、その部分の検索になります。 「▶︎」で一括置換に対応。

コルクボードの思想

Markdownを長く使ってきて、これを装飾だけに使うのはもったいないなと思ってきました。 通常のテキストを書くとき強調とか斜体とかは使いません。 引用も出番が少ないですね。 リストは時々使う。 するとメインになるのは見出し記法です。

Obsidianの「アウトライン」が転機かもしれません。 そこにはScrivenerのコルクボードと同じ発想があります。 章立ての順番は流動的で、それを入れ替えることも表現技法である。 論理的に並べるのでなく、読者の予想を裏切る順列でも構わない。

テキストを区切って、それぞれ情報を担うカードにする。 それがコルクボードの思想です。 その区切り記号にMarkdownの見出し記法が流用できる。 Paperにも採用されていて並べ替えもできるので、これからメジャーになる予感がします。

マークダウン・エディタに「アウトライン」が標準になる。 それはただの追加機能ではなく「書くこと」を一変する革命です。 アウトライナーのノウハウをエディタに転用できる。 Scrivenerのような特殊フォーマットを使わなくてもいい。 も少しデザインがコルクボードに似るといいかな。 こちらの方面に進化するとうれしいな。

まとめ

Textwellは階層構造に対応できないけど、ブログを書くなら十分。

「哲学史入門」からはじめよう

これは続きも気になります。

哲学史入門

哲学事典の編集を手がけてきた斎藤さんが、各界の哲学者にインタビューして哲学の歴史を浮かび上がらせる対談集。 メンバーが贅沢としか言いようがない。 しかも対談形式なので読みやすい。 さらに皆さん、伝統に対して反抗的。 倫理社会の試験でこんなこと書いたら落とされそうな読み筋ばかり。 いいねえ、これはいいねえ。

哲学の起源

いきなり納富先生だけど、そうそう、哲学者って難読苗字の人、多すぎません? あれはペンネームなんでしょうか。 それとも大学が採用するとき名前で決めてるんだろうか。

納富先生は「のうとみ」さんです。 熱量が違います。 これほどアツく古代ギリシアを語れる人はほかにいるのだろうか。 古代ギリシアからの転生者じゃないかと疑われる。 まず「哲学の起源は古代ギリシア」という前提からイチャモンをつけてます。 ヨーロッパ人のエゴですからね。 「フランスこそ古代ギリシアの直系だ」なんて時代錯誤も甚だしい。 そもそも何をもって「哲学」とするのか。

納富先生はそこを「起源を多元化する」という戦略をとります。 同じ「古代ギリシア」でも源泉はいくつかある。 ソクラテスを始まりとしない。 すると「なぜソクラテスを哲学の起源としてきたか」という疑問が湧く。 それをプラトンに身を置いて考えると、なるほど「ソフィスト」の存在なのか。 合点がいった。

当時はソフィストこそがメジャーな存在だった。 今で言う「ビジネス書」ですよね。 どういうコミュニケーションが人間関係を円滑にするか。 対立したときはどうマウントを取るか。 言葉は力であり、言葉によって真理はどうとでも操作できる。 彼らはトランプ的な「ポスト・トゥルース」を体現していた。

プラトンはそれを恐れた。 ソクラテスはマイノリティなわけです。 こちゃこちゃして結論が出ない。 もったいぶるばかりで何の役にも立たない。 挙げ句の果ては裁判で負けて死罪になってしまった。 いいところなしです。

でも「真理」をないがしろにすると魂が腐ってしまう。 口だけ達者な権力者が幅をきかせ民衆を扇動する世の中になります。 というか、なってます。 そことどう戦うか。 それがプラトンを「哲学」へと突き進めた原動力だった。

納富先生の「それは内なるソフィストとの戦いでもある」は、そうだよなあ、自分のことでもあるんだよなあ。 自分の頭で考えること。 それはしんどいし、誰かに任せてしまいたい。 そのほうが幸せじゃないかと思う。

でも、それだと「自分の人生」を生きていることにならない。

無知の知

納富先生、ソクラテスの「無知の知」を否定しちゃうんですね。 でもたしかに「無知」とは「知らないのに知ってるふりをすること」だからソクラテスの態度ではありません。 それで「不知の自覚」を提案しているのですけど、ここも深いなあ。

ソクラテスが焦点化しているのは「知る」と「思う」の違いです。 人は自分が「知っている」と考えているけれど、その「知っている」は「そう思っている」に過ぎない。 よくよく尋ねてみると、本当のところはわかってなくて「単なる思い込み」だったりする。 そこを対話によって検証しようということらしい。

これはあれかな。 アリストテレスが実践知に関して「知る」と「わかる」を区別してるけど、これが「思う」と「知る」の違いかな。 「知る」の位置関係が反対だけど。

たとえば引き算ついて「知ってる。数を引くことでしょ?」と答えることはできても、実際の引き算で答えが合わないなら「わかってる」とは言えない。 「わかってる」には身体的な側面というか、実際にやってみせることができることが含まれている。 孔子で言えば「学んで時にこれを習う」で、「学ぶ」は「知る」になるけど「わかる」には「習う」が必要になる。 「習う」には体に「馴らす」側面がある。 そこまで行かないと「わかる」にはならない。

いや、これだと「不知の自覚」じゃないなあ。 どうやら、この言葉にはパルメニデスが先行してるようです。 「あるはあるが、ないはない」と言ったパルメニデス。 これは女神から彼に送られた言葉で、そのあとに「でも人は、真理をわかったと思った瞬間それが思い込みになってしまう。そこを自覚なさい」と続く。

「知る」に安住すると「思い込み」に転落してしまう。 この人間の認知構造。 そこから抜け出すには考え続けるしかない。 そこがソクラテスの「不知の自覚」なわけです。

わー、なんて哲学的なんだ。

伝わった感

そしてポイントは斎藤さんの「ツッコミ」。 これが冴えてます。

無知の知でも意味が通ればいいんじゃないですか」とか「不知だというならイデアに行くのは変でしょう」と質問していく。 もちろん重々知っているはずです。 ずっと編集者をしてきて、ご自分でも「試験に出る現代思想」とか書いているくらいだから。 でもあえて「不知」を装う。 読者が聞きたくなるところを突っついてくれる。

返し方も上手いですね。 納富先生が解説したところを咀嚼して自分の言葉で要約する。 腑に落ちなければ疑問の湧くところを明確化する。 このテンポがいいから、納富先生はさらに進んだ仮説を繰り出せる。 話す側から見ると「伝わった感」が得られる。

「伝える」は話者だけでもできるけど「伝わる」は共同作業です。 ふたりで作り上げる思考空間。 このことを斎藤さんがエディターとして意識している。 だから読みやすい。

哲学史であるため、一人一人の哲学者には時間が割けません。 手短く要点を押さえないといけない。 でも、教科書的な解説ではつまらないです。 話し手は人生を賭けて「哲学界の常識」と戦っているのだから、その点を浮き彫りにする。 そんなインタビューの技術を駆使しています。

続く山内先生や伊藤先生のインタビューもそうですね。 中世やルネッサンスの哲学事情なんて、普通は軽く流されるところ。 でも先生方は命を賭けて研究している。 一生を費やすに値すると感じている。 それだけ大事なテーマが隠れているからです。

いったいそれは「何」なのか。

斎藤さんはそこに敬意を払い「その話」を聞こうとしている。 その態度がいいなあ。 だから、話している先生たちも浮かれています。 魂が沸き立つ。 どんどんサービスして自説を展開していく。 一般向けの本にはそんなこと書いてなかったじゃないですか。 そう言いたくなるような切り口がいっぱい出てきます。

「魔術とは、自然の中に隠された力を明るみに出す作業」という定義がルネッサンスのところで出てきます。 まったくその通りで、このインタビュー自体が「魔術」。

最近ストア派が流行ってるなあと思ってたけど、ストア派は「帝国時代」の哲学だからですね。 ローマ帝国に支配された世界で、人々は個人として無力を感じていた。 何もできない。 「変えることができるのは自分自身だけ」という寂しい哲学になる。

現代も同じように、社会的ストレスが問題視されながら、対処法となると個人の話にすり替えられる。 レジリエンスとかコーピングとか。 社会に潰されないためにそれも大事だけど、それだけでいいのだろうか。

ストア派で哲学が終わったわけではありません。 その先がある。 中世もルネッサンスも「考える人たち」がいて道を模索してきた。 その魅力がたっぷり語られています。

まとめ

哲学史とは、帝国や教会の大きな物語に晒されながら、個人がそれでも「自分で考える」を放棄しなかった歴史。 どこを取り出しても、今を生きる私たちの参考になる。 遠い昔からのエールが響いている。 「がんばれ、諦めるな」と。

行間からそんな言葉が伝わってきます。

Obsidianだと箱メソッドがわかりやすい

「ブロック」や「カード」として考えてきた書き方です。 「見出し+内容」を一単位として扱う。 これを「箱」と呼ぶことにします。 「ボックス」でもかまいせん。

箱メソッド

「箱」をメタファーにすると「隠す」を意識できます。 「ブロック」や「カード」ではそこが曖昧だった。 並べ替えやズームは体感として掴めるけど「隠す」は表せない。 カードを裏返すとかだと見出しもわからなくなります。

アウトライナーには「折り畳む」があります。 これが「箱」としての「隠す」に当たります。 隠すことで視覚的な情報量が減る。 情報が減ると、認知的なリソースを「書くこと」に回せる。 それが利点ですね。

Boxing.md

「箱メソッド」を活用するためにTemplaterアクションを作ります。 下記スクリプトを用意し、TemplaterのHotKeysに登録してください。 Zoomプラグイン必須。

<%*
tp.file.cursor_append(`#### ${tp.date.now("HH:mm")}\n`)
s = "editor:move-caret-left"
app.commands.executeCommandById(s)
s = "obsidian-zoom:zoom-in"
app.commands.executeCommandById(s)
tp.file.cursor_append("\n")
%>

このHotKeyを呼び出すと、時刻が見出しの「箱」を作ります。 そこに記事を書く。 見出しは、記事の内容が定まってから改めて付け直す。 そうした手順で進めます。

ブログの下書きにこの方法を使ってます。 見出しを決めるのが案外難しいので、後回しにして内容を先に埋める。 見出しは「箱」が出揃ってからだと整うものです。

連歌のように書くこと - Jazzと読書の日々

ツールバーに登録

HotKeyをモバイルツールバーに登録するにはCommanderを経由します。

CommanderのMacrosを開き、新しいマクロを作ります。 「ADD COMMAND」で「Templater: Insert Template/Boxing.md」を追加し Save します。

これでモバイルツールバーに「Commander: Boxing」が登録できます。 登録するとアイコンが「?」なので、CommanderのMobile Toolbarでアイコンを選んでください。

Zooming

Zoomプラグインの「Zoom in」はカーソルが見出し上にある前提です。 これが使いにくいので、上記記事で書いたZoomingをお使いください。 カーソルがどこにあってもズームする。 自分で言うのもなんですが、とても重宝します。

モバイルツールバーに「すべての見出しとリストをフォールド」と「すべての見出しとリストのフォールドを解除」を入れておくと完璧です。

まとめ

あとは上記のBlogEditorも入れるとブログカードとか作れて、記事の作成が簡単にできます。 もちろんネタは自分で考えなきゃいけないけど。

追記 4/15

Obsidian Outlinerから平文に変換するスクリプトが発表されてました。 そうそう、こうしたカスタマイズの積み重ねが「次世代のエディタ」に繋がっていくんだと思います。