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負けヒロインが王道すぎる

ニコニコ動画でトップを走っているので見てみました。

負けヒロインが多すぎる

ラノベのアニメ化。 『ハルヒ』『トラどら』『俺ガイル』の系列に当たります。 青春ものの王道路線ですね。 パターンが踏襲されている。

ぼっちな男子高校生が破天荒な女の子と出会って、急に人生が忙しくなってしまう話。 ボーイミーツガールってやつです。 でもラブコメではないかもなあ。 どちらかというと成長譚かもしれない。 アニメはまだ途中なのでわからないけど。

今回の主人公・温水(ぬくみず)くんはラノベ好きで、集団に溶け込めず、少し斜に構えた傍観者ポジションにいる。 周囲に起こる出来事を「本」に喩えて眺めている。 八奈見さんが「ありのままでいいの。焼き鳥は串のまま食べていいの」と言い出したとき「あ、それ、心が弱ったときに読むやつだ」と思ってしまう。 基本が読者スタンス。

他の青春ものとの違いは、ヒロインたちに「好きな男の子がいる」というところでしょうか。 その意中の相手には、付き合っている彼女がいる。 だから「負けヒロイン」と呼ばれているわけです。

あと温水くんの察しがいい。 よくある難聴主人公ではありません。 本をよく読むからか「先」を考えてしまう。 副部長に「解決しなくていいよ」と言われるくらい、先回りしている。 新しいタイプかもしれない。

なぜ3人か

これは「温水くんが読者から作者になる物語」と読めそうです。 傍観者ポジションから「自分の人生を動かすアクター」に変わろうとする。 その成長を描くストーリー。 そうした、昔からある「男の子が大人になる話」になっています。 小説も書き始めるし。

こうした王道青春ものにはヒロインが3人現れます。

今回は八奈見さんと焼塩さん、小鞠さん。 『ハルヒ』にしても『トラどら』にしても、ヒロインは3人です。 これは小説の構成上の黄金律になっています。 3人いないと主人公が動き出せないらしい。 これはなぜだろうか。

主人公の前に3人の人物が現れ、主人公の人生を大きく変えてしまう古典としてはディケンズの『クリスマス・キャロル』が思い浮かびます。 吝嗇家の老人のもと3人の精霊が現れ、それぞれ「過去」「現在」「未来」を見せることで、主人公が人生を考え直し、新しい生き方を始めるようになる。

生き方が変わるというのはしんどいことです。 何かアドバイスされたとか賞罰とかで人は変わりません。 それは二項対立になりやすい。 「良いか悪いか」の二択になる。 それでは人を成長させる力になりません。 褒めても叱っても「変容」にはならない。

複雑な世界を受け止めるには、少なくとも三通りに体験することが必要になります。

ヒロイン分布

今回の温水くんのテーマは「友情」です。 「恋愛」ではありません。 だからラブコメにはならない。 温水くんは男の子の友だちもいない。 妹から「友だちがいなくていいのは義務教育まで」と言われるほど孤独です。 それを初めから諦めている。

ヒロインたちはそれぞれに「想い人」がいるから、温水くんを恋愛対象と見ていない。 なのでタメ口で、ありのままの自分を温水くんに見せることができます。 相談相手として選んでいる。 温水くんは「女の子」になっています。 「男の子」と見られていない。

ヒロインの性格分けは下図のようになります。

これは王道ですけどね。 主人公は「少し根暗で内向的なタイプだけど、根が優しくて巻き込まれ体質」。 『ハルヒ』のキョンの頃から変わりません。

それと対をなす関係は3つあるわけです。 これがどのアニメにも継承されています。 思いつきで人を振り回すメインキャラに、社交的ではあるけど周囲に気を遣ってしまうサブキャラ。 そしていつも独りで本を読んでいる志摩リン・キャラ。 この3人がいる。

え? 『ゆるキャン△』もですか。 はい、あれは大垣が主人公ポジションです。

妹がいる

あと「妹」がいます。 主人公はなぜか「お兄ちゃん」である。

『トラどら』の竜児は一人っ子であるけど、あの場合は母親の泰子さんが「妹」です。 何かというと、主人公の心配をしてくれる身内ですね。 サポーターが必ずついてくる。

「妹」がいる場合は、両親はいません。 親は登場しない。 『俺ガイル』の八幡の家は母親がいるはずだけど、いつも出張中で、妹の小町が兄の面倒を見ている。 ヒロインたちの家庭事情は出てくるし、その親との交流はあるけど、自分の家の話は伏せられている。

温水くんの家の話はこれからあるのかもしれません。 出てこないかもしれない。

「妹」は母親の暗喩です。 ただ「母親」として出してしまうと、主人公の性格形成に関わることになるので、ちょっとギスギスしたエピソードを挟まざるを得ない。 これをスルーするための方便として「妹」を立てるのかなと思います。 「姉」でもないですね。 「妹」は主人公より後に生まれてるのだから、性格形成の責任は問われない。

もし「妹」もヒロインに組み込むと『俺妹』になるわけで、その場合は両親が登場します。 『かぐや様』だと「妹」だけじゃなく「父親」も出てくるし、あの「父親」も捨てがたい。 『無職転生』もかぁ。 その場合の主人公は行動派になります。

「家族」が描かれると、むしろ主人公がヒロインを救済するストーリーになる。 ヒロインの方が「陰気で弱気」になります。 初めは「冷たくて気が強そう」の「ツン」として描かれても、関わるうちに「本当は弱いところもあった」と見えてくる。

性格形成と言っても「固定」ではないですね。 「親」が出てくる場合はすでに「他者と対話すること」が家庭内で行われています。 「妹」しかいない場合は「まだ他者との対話が行われてなかった」と言うことです。 「妹」だと同意はしてくれても対話にはならない。 成長譚には「対等に話し合う相手」が欠かせません。

主人公と対話を始める他者。 それがアニメにおける「ヒロイン」になります。 だから温水くん、八奈見さんへの塩対応はやめてあげて。

エンドロール

エンディング曲がいい。 hitomiの曲のカバーですが、八奈見さんを表すのにピッタリ。 雰囲気が出てます。 豊橋が聖地らしい。 そこの高校かな。

ところでアニメの「エンディング」って何でしょう? マンガも小説も、連載の始めと終わりに「同じ話」を繰り返すわけではない。 アニメは毎回「同じOPとED」が流れます。 これで時間を区切るようになっている。

これは「ニュース」では使われない。 スタッフロールが流れても「同じ映像」を繰り返すわけではない。

モデルとなったのは映画のエンドロールだろうと思われます。 観客が映画の世界から現実に戻るための時間稼ぎ。 「この話は作り物ですよ」の指標なのでしょうか。

まとめ

「へー、そうなんだ。その話、まだ続く?」。 そういうとこだよ、温水くん。