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ひきこもり処世術入門

今年の夏は凶悪さが段違いです。 晴れたら猛暑、降ればゲリラ豪雨。 日本も住みにくくなりました。 外に出たら命が危険。

ひきこもり処世術

定年退職してからぼちぼちとやってますが、まあ、家から出る用事が減った。 考えてみると今時の人間関係は「職縁」なので、仕事がなくなると同時に人付き合いが皆無になります。 つまり、望む望まないに関わらず「ひきこもり」になります。

それで先人に学ぶことにしました。

講師はカレー沢薫先生。 本職はマンガ家の方のようですが、すみません、先生の作品はまだ拝読させていただいてません。 売れっ子さんではないようだし、アニメ化してメディアミックス展開で年収2兆円というわけでもなく、どちらかというと「無職」に近いようです。 しかも無職歴が長い。

なので「ひきこもりの大家」と言ってもいいでしょう。 よくこの筋の「傾向と対策」を研究されていて、引きこもるためのノウハウが満載でした。

ルーマー

コロナによって万人に「ひきこもりへの道」が開かれ、誰もがその魅力に気づく機会が訪れた。 それは僥倖と言えよう。 大切なのは、ひきこもりからどう脱するかではなく、どう楽しむかである。 まず「ひきこもり」という名称が良くない。 「本当なら社会に出て仕事をするのが正しい」という先入観がある。 それは海の中の魚に「ちょっと陸に上ってみろよ」と言うに等しい。 牛乳アレルギーの人に「好き嫌いはいけません」と指導するくらいトンチンカンなことだ。

この問題をクリアするには「家で過ごすこと」をライフスタイルの一つとして言祝ぐことである。 たとえば「ひきこもり」ではなく「ルーマー」と呼ぶのはどうだろうか。 決して「お願いだから部屋から出てきて症候群」ではいけない。 クールさがない。 初期のころ「オレオレ詐欺」と呼んだばかりに「そんな詐欺に引っかかるわけないじゃないか」と甘く見てしまい被害が拡大した前例がある。 何ごとも名前が大事である。

といった感じで、いやいや、まったくです、先生。 どの着眼点も素晴らしい。 「自分の支出額を把握すべし」はその通りで、コンビニと外食を見直せば、そこそこの支出でも無理せず食べていけます。 しかも家から出る機会も大幅に減る。 まさに一石二鳥。

読んでいて思ったのは「時間の使い方」でした。 そう、熟練した「ルーマー」になるためには「きちんと休むこと」です。 これがアマチュアには難しい。 ついつい、意味もなくゲームをしたりネットを巡回したりする。 あるいは「悪い考え」が浮かんで反芻するうちに時間を潰してしまう。 それで疲れてしまう。 休めていません。 「働いている」のと変わらない。 無給で。 むしろ休日がない分、過労状態になってしまう。

ルーマーがライフスタイルになるには「うまく休む」がポイントだと思いました。

休むこと

「休む」の語源を考えてみました。 個人的には「安らふ」と同根だろうと思います。 この「安らふ」は「やする」という動詞に「はふ」の付いたもの。 「はふ」は「語る→語らふ」や「叩く→戦ふ」のように継続を表す接尾辞です。

問題は「やする」という動詞ですね。 聞いたことありません。 辞典にもない。 聞いたことないけれど「やすり」はあります。 物を削る道具の「ヤスリ」。 「ヤスリがけ」とかで使う。 「はさむ道具」が「ハサミ」なのだから「やする道具」は「ヤスリ」です。

もし「やする」という古語があったとしたら「固いものを削る」という意味だと思われます。 yas-を語根と考えると「痩せる」や「優しい」にも通じるものでしょう。 削られて細くなる。 「たやすい」や「しやすい」の「やすい」でもある。

こう見てみると「休む」は弱体化モードではないか。 まあ、弱ってますね。 柔らかくなってふにゃふにゃです。 「安らふ」には「どうしたものかとためらう」という意味もあり、気が弱ってます。 決断できない。

このモードにあれば休むに限る。 何も決めないことです。 保留にする。 「安らふ」には「足を止める」という意味もあります。 この多義性を「休む」は兼ね備えている。

禊のノウハウ

あるいは身についたケガレを削ぎ落すことでしょうか。 ヤスリがけをして研ぎ直す。 身から出た錆でなまくらになっている。 身削ぎをしてリフレッシュする。

古の人たちは禊のとき「お籠り」をしました。 小屋に籠ることもあれば山に籠ることもある。 洞窟などを「子宮」に見立て、生まれ直す儀式です。 社会から離れ、お堂の中で一人で過ごす。 一度「胎児」に戻り、人生をリセットする。

本来「ひきこもり」も「籠り」の一種でしょう。 これが通過儀礼として成立していた。 ところが近代化の過程で、社会から禊のノウハウが失われた。 でも心理的には必要であるため、今でも自主的に自己流の「お籠り」をする人があとを絶たない。 ところが周りは作法を忘れてしまった。 余計な介入をしてこじらせてしまう。

だとすると「ルーマーになればOK」でもないなあ。 社会に戻る道筋も、禊としてみればあるはずなのに、今の社会が塞いでしまっている。 社会に戻ると言っても、会社で働くことではないですね。 禊のあった頃に「会社」はないのだから。 田畑に水やりをする日々に戻るだけのことです。 人間に会わなくてもやっていけます。

そうそう、食べる分の食料が部屋の隅から生えてくれば、やっていけます。 そういうテクノロジーの開発が今求められている。 栄養価の高い霞でも可。

まとめ

オシャレなデザインで「ルーマーのためのルームウェア」がAmazonから出たらポチるだろうなあ。 猛暑日でも体感温度が2度低い! そういうの出てこないかな。