Jazzと読書の日々

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循環分析は五行説である

タイトルで終わってしまった。

循環分析

キャンバスでよく描いている図です。 二項対立を二つ考えて直交させ、それぞれの象限を埋めていく。 この図を個人的に「循環分析」と呼んでいます。

最近はキーワードを三つ考えて、そこにある二項対立を見つけ、そのあと四象限めを発見するのにも使っています。 隠れている要素を暴く感じが心地よい。

「この図は使い勝手がいいなあ」と自己満足してたんですが、なんてことはない五行説ですよね。 陰陽道五行説。 森羅万象を「木火金水土」で考える東洋哲学です。

曜日にも「火水木金土」があるじゃないですか。 古くはレインボーマンの七変化から最近の異世界モノの魔法学に至るまで、属性と言えば「木火金水土」が並びます。 あと光と闇の属性を追加すればパズドラにもなる。 もっと増やせばポケモン図鑑ができる。 日本人にとっては、その基に五行説があるわけです。

もちろん西洋においても事情は変わりません。 プラトンが『ティマイオス』で「火水風土」の四元素を挙げている。 これが後のグノーシス主義錬金術になります。

五行説の「木」は「土」に、「金」は「風(空気)」に置き換わっていますが、それはインドの「四大」でも同じ。 中国の「風水」や「風土」もこの元素の組み合わせで「いろいろ」を表しています。 四元素説も含めれば広い文化圏をカバーしている。

直線時間

四元素なのは「春夏秋冬」の季節が捉えやすいからでしょう。 一日も「朝昼晩」で循環している。 年月も「子丑寅卯」の干支で循環している。 人生も「生老病死」で循環している。 五行説は循環する時間の感覚です。 それが昔の日本人に染み付いていた。

ところがキリスト教圏から「直線時間」が輸入されます。 西暦は「キリスト誕生から何年」という数え方。 世界が亡ぶ「最後の審判」に向けて一直線に伸びています。

時間は循環せず、時間軸という数直線になる。 これは困ったことです。

経済を考えれば上記のような循環をします。 発展はいずれ飽和状態になり停滞を引き起こす。 その停滞から次の段階へのパラダイムシフトが起こります。 これがくるくる回って経済が展開していく。 発展のときは発展に合わせた生活をし、停滞のときは停滞をやり過ごす工夫をする。 それが人類の「ふつうの経済」でした。

ところが直線時間の世界ではこの循環が崩れます。 停滞のときに無理に発展を起こそうとする。 円安で物価高なのに賃上げで対処しようとする。 それはインフレじゃないの? 冬にアロハシャツを着るくらい奇妙な話ですが、そんな政策がまかり通っています。

少子化の問題もそうですね。 ある程度増えたら減少に転ずるのは当然でしょう。 戦後のベビーブームで増えすぎたのだから、増えた分は反動が来ます。 減ったら減ったで、それに合わせた社会作りをすればいいのに、子どもの数を無理に増やそうとする。 発想に「循環」が無いから起こるちぐはぐさを感じます。

持続可能な社会

直線時間には「最後の審判」という世界の滅亡が待っています。 もしそれが嫌で、持続可能な社会を考えるなら、手持ちの視点に循環時間を組み込むべきでしょう。

停滞を発展の一部として受け入れる。 夜が来たら素直に寝る。 冬になればコタツで冬眠する。 がむしゃらに働き続けて過労死する必要もありません。 ダメなときは「ダメだなあ」でいいじゃないですか。 その「冬」に次へのパラダイムシフトが芽吹いている。

キリストが生まれる前から人類は何百万年も生活していました。 狩猟採集の暮らしが定番だった。 そこでの時間感覚は「循環」です。 獲物が取れる季節もあれば取れない季節もある。 取れないときは別の食べ物を探せばいい。 寒くなれば毛皮を着ればいい。 そのときそのときを過ごす工夫をしてきました。

台風や大雪でも出勤するなんて不自然な話です。 そんな「働く」は資本主義社会になってからのこと。 「雨ニモマケズ風ニモマケズ」には無理がある。 雨風に負けてもいいじゃない。 負けるときは怪我を少なめに綺麗に負ける。

「身を守る行動」ならわかるけど「命を守る行動」もわからんなあ。 どこまで自己責任にするんだか。 「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候」と良寛さんの言う通り。

まとめ

三要素しか思い浮かばないときって「負ける」を省いているとき。 現実には「うまく負ける」もあると思う。 循環分析を使うとその「負ける」と直面できます。

それは決して「負の要素」ではない。 そこも含めての「循環プロセス」として捉える。