Jazzと読書の日々

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「ふつうの相談」における二つの知

ふつうの相談

東畑 開人 (著)

書かれていることから連想したことだけど、この本には二つの知があって、それが整理されつつある段階かなと思いました。

地動知

一つは地動説の知だと思う。 天動説に対する地動説。 文字通り、臨床学におけるコペルニクス的転回が描かれています。

従来の心理臨床が天動説ですね。 自分の住んでいる星を不動と思い、そこから見える光景を「専門性」だと思っていた、ということでしょう。 住んでいる場所に応じて、日本を中心にした地図を見たり、ヨーロッパ中心の地図を見たりで「心の世界」を語ろうとした。 セイロン島を中心にすれば、日本もヨーロッパも「世界の端っこ」だから会話が噛み合わない。 どうも精神医学や心理学は長い間そんな時代だったようです。

まあ、もうちょっと見方を変えてみましょう、と。 民間で行われる「ふつうの相談」が太陽で、そこを中心に据えた方が座りがいいんじゃないか。 クライエントからすればどんな悩みごとも、まず自分で考えるし、友達に相談するし、上司からアドバイスを受けたりする。 それでうまく行けば、そこで「心理療法」は成立します。

そのレベルでの相談をまず考えないと、まるで未開封なまま相談事が持ち込まれるかのような錯覚に陥る。 それは実情に合わない。 むしろ、あれやこれやと対応に対応を重ね、手詰まりになる。 それをほぐすのが専門家の仕事。 「ふつうの相談」が運悪く立ち往生したときに「どうしたものやら」と相談室に訪れるわけです。

クライエント中心に考えれば、そうなる。

熟慮知

もう一つは、アリストテレスの「熟慮知(フロネーシス)」。 相談0とか相談Bとか並べていますが、ここにはセラピスト側の「知」の循環がありますよね。 「知」が動き、変容すること自体が「知」を熟成させる。 それを描こうとしつつ、なぜか静止画での考察になっている印象がしました。 球体で図示するからかなあ。

たしかに、ふつうの相談で活用されるのが「世間知」だとすると、それがそのまま「専門知」になるわけではありません。 この本の言葉を使うと「現場知」の方が先でしょう。 デイケアのスタッフの間で「こういうことってあるよね」と理解が積み上げられていく。

ある特殊な環境だから、場所によって異なりはするけど、世間知の文脈から生まれつつ、条件に制約がある分、言語化しやすい。 フロイトにしてもウォルピにしても、まず「現場」があり技法が生まれた。 理論が先にあったわけではありません。

でも、達人の技を後進者が学ぶときには理論が必要です。 それが「専門知」。 現場に放り込まれただけでは凡人に術はない。 ただ居づらくなってしまうだけです。 深海に潜るにはアクアラングが必要になる。 同じように、達人の得た現場知を追体験するのに不可欠なのが専門知識です。 武道と同じで、まず型を身につけないとケガをしてしまう。

でも、実際の臨床が型通りで取り扱えるわけがありません。 それで<ふつうの相談>というカードも必要になる。 自分の型にクライエントをはめ込むのではなく、クライエントに合わせて自分が変化する力が要求される。 それが「臨床知」だろうと思います。

セラピスト側から「知」を見ると循環している。

ただ<ふつうの相談>というカードが実在するかといえば疑わしい。 クライエントからすれば、カードAもカードBも「専門的なケア」でしょう。 ふつうに卓球をしても、専門家がすれば「プレイセラピー」です。 それはセラピストの意識の持ち方ではなく、クライエントが「その場に来ている」ということで起こる意味づけです。 だから治療的でもあるし、侵襲的でもある。 「開腹手術ではないから安心」ではありません。

変容の科学

話が逸れました。

「知」を見ると、世間知→現場知→専門知→臨床知→世間知→…と循環しながら変容していく。 この変容すること自体が学問としての熟成でしょう。 これを「臨床学」とするにはいい視点ですね。 学問全体に起こるし、個人の「知」の変遷としても起こります。

だから「スキル」といえばそうだし、それが深まるのを「人格」と呼んでもいいじゃないですか。 あらかじめ予防線を張らなくてもいいのに。 循環の途中で足を止めれば、どこであれ「浅い」と思う。 相談に行く側からすると、その専門家は「深い人」であってほしい。 そんな難しいことを要求していませんよ。 「知」自体に足を止めることを嫌う性質があるから、ふつうにしていれば「深い人格」が備わってきます。

地動知は「やっと構造主義の段階に入ったか」と思ったのですが、熟慮知はその先を行っているように思います。 流動性をどう扱うか。 それは「時間」をどう考えるかだし、変化を扱う分野として欠かせない。 「この人の診断名は○○です」で終わらないのが臨床学でしょう。 「変わること」をどう言葉にしていくか。 それはおもしろそう。

まとめ

「知」が動いている人に相談したいし、自分もなりたい。