Jazzと読書の日々

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『日本の歪み』の構造分析

世界が歪んでるからじゃないかなあ。

日本の歪み

日本の歪み (講談社現代新書)

養老 孟司 (著), 茂木 健一郎 (著), 東 浩紀 (著)

養老先生、茂木先生、東先生の鼎談。 とかく日本は生きづらい。 その生きづらさの正体を掴もうという企画です。 要点は、敗戦を「終戦」と呼ぶことで、日本が「なぜ負けたのか」の分析をしなかったこと。 靖国神社憲法改正に肯定的なお三方ですが「なぜ負けたのか」の分析を抜きにしてはまた軍部が政治を乗っ取るだけだろうと見ています。

日本はずっと朝廷と幕府に分かれ、軍部である幕府が実権を握っていたから、シヴィリアン・コントロールをやったことがない。 公家と武家の乖離。 軍事力の扱いを天皇制で成功した試しがありません。 そこをどうするか。

生きづらさ

とはいえ、どこに生きづらさがあるかは三人三様ですね。 これは世代の違いなのかな。

上のような図式を思いました。 「日本は自力では変化できず、外圧で動いている」という構図です。 三人ともこの図式を共有している。

日本は欧米からの外圧で現在の憲法を持たされ、民主主義国家としての主体化を強いられた。 そこには日本としての独自性への配慮がなく、ただ欧米をモデルに近代化を進めるものだった。 そのせいで葛藤や矛盾を抱えることになるけど、そうしたものは周縁へと抑圧された。 やがて内部の葛藤は「なかったこと」にされ解離状態になる。 解離状態は葛藤から目を逸らすため、外部に外敵を作りバッシングを始める。 すると外敵との戦争が起こり、再び敗戦することで新しい外圧を受ける羽目になった。

日本はこのパターンを明治維新と第二次大戦で繰り返した。 そうした見立てです。

三人の生きづらさの違いはどの段階に「青春」があったかですね。 養老先生は敗戦後のアメリカ化を強いられる日本の苦しみを論じている。 茂木先生は高度成長期の「出る杭は打たれる」的な周縁化を問題視する。 東先生はポリコレが幅をきかせ互いがバッシングする社会を考えている。 それぞれ視点がズレています。

「主体化→抑圧→解離」の順になっていている。

外圧の内在化

ポイントになるのが「外圧」で、それは何でしょうね。 茂木先生も東先生も「日本は外圧に左右されて主体性がない」と言いながら「海外は○○なのに日本は遅れている」というロジックを使う。 そのロジックが「外圧」でしょ?と思うけど気づいてないですね。 二人とも「外圧」が内在化された時代に人格形成され、そこに疑問を持っていない。

養老先生はその「外圧」を直視した世代だからそのロジックに乗りません。 平安時代や江戸時代の歴史を持ち出して「現代」を相対化する。 東先生の歴史がせいぜい「明治」なのと対照的です。 歴史の感覚的スパンが違いますね。 だから養老先生は「物事はなるようになる」という中動的態度。 それが二人に通じない。

茂木先生は「40超えれば、ちょっと変わってる人という立ち位置に収まるようになる」という周縁性を持ち出してくる。 たしかに異界論とか「中央と周縁」という文脈が存在した時代もありました。 中央の力があまり強くなかった頃ですね。 「周縁」があって「ちょっと変わった人」はそこに位置づけられることで安寧に暮らすことができた。 40歳までは風当たりがきつくても、過ぎてしまえば「ユニーク」と呼ばれ、受け入れてもらえる。 あしたのジョーとか巨人の星とか、まだ不良に居場所があった時代です。

東先生の生きづらさは、その二人とは異質のものになっている。 「外圧」を内面化している。 そしてどこにも「周縁」がない。 「ちょっと変わった人」には診断名が付けられ「社会的配慮」の対象とされる。 個々人を見ずに「定型的な多様性」として扱われる。

これは生きづらいだろうなあ。

まとめ

養老先生の言うように「戦争が起きる、戦争が起きる」と騒ぐうちに「関東大震災」が起きて、日本政府が崩壊したあとにどうなるか。 シン・ゴジラ的なテーマ。 たしかに復興支援してくれるのは、損得勘定するアメリカよりも、中国なのかもしれない。