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100分de名著『ニコマコス倫理学』

月曜の夜にやっている番組で、その筋の専門家が歴史的な古典を解説。 まあ、10月がアリストテレスだったわけです。 これがマイブームでして。

100分de名著

不遇のアイドル、アリストテレス

なにしろアレクサンドリアにあった著作集は戦火で燃えてしまい、弟子たちがまとめた概論もヨーロッパから駆逐され残っていない。 かろうじてイスラム圏で翻訳されていた講義録が、十字軍の時代に逆輸入され再発見された。 実体のわからない哲学者です。

その彼の『倫理学』に関する講義が今回のテーマです。

アレテー

気になったのは「アレテー」という概念。 山本先生は「徳」と訳して説明しているけれど、その解釈は中世ヨーロッパのトマス=アクィナスが行ったもの。 キリスト教にどうアリストテレスを受容するかという課題があり、その答えが「倫理学」だったわけです。

だから、本当にアリストテレスは「徳」の話をしているのかなあ。 古代ギリシアの人が中世ヨーロッパの事情なんて知るわけもないんだから、いい迷惑だろうと思います。

アレテーの用法として「ナイフには物を切るアレテーがある」や「馬には速く走るアレテーがある」という例が挙げられています。 山本先生は「価値」や「卓越性」と言い換えているけど、それでもぴったり来ませんね。 なにか違う。

英語だと「power」と訳されるみたいだから「能力」かなあ。 「ナイフには物を切る能力がある」。 でもそれは人間が「物を切る道具」として使うからですよね。 人とナイフとの相互作用において具現化する。 「アフォーダンス」に近そうだけど何だろう。

行動主義

人間に当てはめた場合もそう。 たとえば「勇気」というアレテーの場合。 「勇気ある行動を行うことで、その人は勇気ある人と認められる」という説明がされる。 「勇気」という徳があるから「勇気ある行動」をするわけじゃないです。 「勇気ある行動」が先にあって、事後的に「この人には勇気のアレテーがある」と判断される。 行動がなければアレテーもありません。 「悲しいから泣くのでなく、泣くから悲しいのだ」というプラグマティズムの先取りをしている。

『ニコマコス倫理学』の原題は『性格について』なので、このアレテーは性格に関わることです。 一般に「性格」は先に内在していると思われています。 「勇気のある人だから勇気のある行動を取る」と思い込んでいる。

それに対しアリストテレスは「否」を突きつけます。 いや、当時のギリシアの常識なのかな。 「性格」は「行動」に対し後からつけるラベルのようなものです。 「行動」として表現されなければ、それは存在しない。

性格とは何か

いま「性格」とされるものも、よく見てみると「行動」の話です。 ビッグ・ファイブと言って五つの要素に分解されるとされている。 情緒の安定性・対人関係の外向性・他者との協調性・ルールを守る誠実性・好奇心旺盛な開放性。 この五つの要素の組み合わせで「性格」の記述ができる。

この要素はいずれも「他者に対する行動」を指しています。 「引っ込み思案だけど、実は外向性が高い」とはなりません。 ある「行動」が出てくるときに「かくかくの性格である」と言われる。 実際の行動の話をしているのに、それを心理的な特性として誤読する。 たぶん「性格」とはそうしたものです。 「自分に勇気がないから勇気ある行動が取れない」と思い込んでいるけど、話は逆です。

「アレテー」はラテン語で「virtus」と訳されました。 いまで言う「バーチャル」のことです。 これを「仮想的」と訳しても、元のニュアンスが出てこないですね。 ドゥルーズのように「潜在態」と呼んだところで、なかなか謎です。 「アレテー」はアレテーであり、現代語のどれでもないのでしょう。 当てはまる言葉を今の時代は持っていない。

関係性のアレテー

現代社会は「個人の特性」に帰属しすぎだろうと思います。 発達障害LGBTもそうですが、何か「特性」が内在する前提で、それを分類したがる傾向がある。 問題が起こっても「それは向こうが○○だからで、私とは関係ない」と言いたいのでしょうか。 都合よく「自己責任」が運用され、無意味に謝罪会が開かれる。

アリストテレスから見ると、そうしたものは「行動」でしかありません。 実際に何が行われたか。 それも「他者との関係」において現れるものです。 ナイフも、それを使って何かを切ろうとする他者がいなければ、そもそも独りでに何かを切ったりはしない。 アレテーは他者との出会いで具現化する。 「エネルゲイア」とはそうしたものです。

この「関係性の中で具現化するもの」という観点から、現代社会の課題を洗い直すのも有益なように思います。 「個人の特性」で説明した気にならない。 自分も含めたシステムの中で問題を捉え直す。 「アレテー」という概念にはそのパワーがあると思う。 古代ギリシア人の目を借りて今を見ること。

まとめ

パワーこそ力。 アレテーの神様は軍神アレスなので「パワー」なんですよね、本当は。 「徳」なんかじゃなくて。