Jazzと読書の日々

iPadを筆記具として使う方法を模索します

どうすれば箱の外に出ることができるか

外部に出る

上野さんのこの図、いいなあ。

状況の中でいくら頑張っても状況自体は動かせない。 自分を含めた状況自体を外部から見たとき、何をすればいいかが見えてくる。

それを箱の中と箱の外の対比で端的に描いてます。

相談する

じゃあ、どうやって箱の外に出るか。 これが難しい。 多分ひとりで出る方法はありません。 だって箱の中にいるのだから。

それで他の人の視点を借りる。 「相談する」とはそういうことですね。

他者に状況を説明する。 それは相手に助けてもらうことではありません。 同じ箱に入ってしまうと、相手も一緒に滑って行くだけになります。 犠牲者が増えるだけ。

「相談する」とは「相手に自分の状況を伝えること」です。 聞き手の視点に立つ。

客観的とは違います。 箱の内側でなければわからない情報も重要です。 それを相手にわかるように話そうとすると、自然と相手に同一化します。 外部の他者に同一化する。

そのとき自分も箱の外に出ることができます。 相談の効果はそんなところでしょうか。

文章を書く

「相談する」の要点が「他者の視点に立つ」であるなら、ひとりで行う方法もあります。 それは「文章に書く」という方法です。 「書くこと」のライフハックを活用する。

タスクリストにするとかログにするとか。 とにかく文章にする。 そして読み直してみることです。 つまり「読者」という外部の視点に立つ。 その機会を設けてみる。

この「読者」はパワハラ系だと困ります。 「もっと根性を出せ」とかアドバイスされても箱の外には出られない。 何をすべきか説くカウンセラーではなく、何が起きているかを見てくれる観光客。 そうした「読者」を育てて置かねばなりません。

日頃他の人のテキストを読むときに、そうした読み方を心がけておくことかな。 この人の置かれている状況はどうなっているのだろうか、と。 読むことのトレーニングが必要なのかもしれない。

急にはできぬものなあ。

神頼み

もう一つ「箱の外に出ること」を思いつきました。 「宗教」ですね。

イメージの中で神様と向き合い、祈ること。 この「神様」はヴァーチャルな他者です。 実際にいるとかいないとかではなく、箱の外の視点を「神様」と呼ぶわけです。

それは「世間」という箱よりも外にあります。 なので常識の縛りもありません。 同調圧力をかけてくることもない。 純粋に「外部の視点」を提供してくれる。

その「神様」に状況を説明しようとすれば「相談する」と同じ構造が作れます。 人間相手の相談だと要らぬ反応をもらって傷つくことがありますが、ヴァーチャルな他者なら大丈夫でしょう。 沈黙の名人です。 余計なアドバイスはしてこない。

人間が「神様」を動かして、自分に都合のいい奇跡を起こそうとすると身勝手なものになります。 そこに付け込む悪い宗教家もいます。

ただ「外部の視点」を借りることに限定しておきましょう。 それが大文字の他者

まとめ

古代ギリシアではそうした神様を「ダイモン」と呼びました。 公共的なアポロンとかゼウスとかと違い、それぞれの個人に住んでいるプライベートな神様です。 その神様が喜んでくれることが「エウダイモニア=幸福」だとされています。

これくらいの心持ちかな。