Jazzと読書の日々

iPadを筆記具として使う方法を模索します

ブロック・ライティングには「7の壁」がある

green ceramic mug beside book|600 Backlink | Photo by Aaron Burden on Unsplash

意識は「読者」である。 書き手ではない。 だから文章を生み出すのは意識ではなく、無意識である。 この無意識は、身体や体験と言い換えてもいい。

体験と意識

graph LR
a --> b
b --> c
c --> a
c === d
a --> d
d --> b
b <--> e
e ==> c
e --- d

体験はメッシュ状になっている。 これを瞬間的に把握することを直観と呼ぶ。

graph LR
a --> b 
b --> c
c --> d
d --> e

意識は線形状になっている。 体験とは別構造である。

言葉がリニアであることと、視点が時間的変位であることが関係するのだろう。 意識は直観を再体験することで文章の構造に変換する。 型式のズレが欠落を生じる。

物語化

身体的記憶に時間はない。 過去の出来事でも同じ痛みや苦しみを伴う。 いわゆるフラッシュバックである。 身体に刻まれた記憶はいつも「今」として湧いてくる。

意識はその身体的記憶を言語的記憶に変換する。 過去の出来事を「昔話」に変えてしまう。 言語記憶は「そのときそうだった」と体験を時間に位置づけ、情動の波に襲われずに済む工夫になっている。 人間の知恵はそこにある。

堂々巡り

ところが一人で考えても、身体記憶は言語記憶に変換されない。 たいてい、堂々巡りになる。 これが昔から不思議だった。

いつまでも同じことをくよくよ悩んでしまい、寝付くこともできない。 人生にはそういう山場が何度でもある。 数えてみると、月に3度はあるかもしれない。

で、そうした場合、まず悩みを書き出してみる。 するとだいたい、同時に考えている案件が6つを超えている。 どうやら要素数が6以上だと堂々巡りを起こすらしい。 情報処理のキャパシティを超えるのである。 オーバーフローだ。

ジョジョでそんなスタンド攻撃があったなあ。 あのスタンドは「同時に3つのことしか記憶できない」だったが、「6つ」だとそこそこ生活できてしまう。 それで気づかなかったのだろう。 まさか、スタンド攻撃を受けていたとは思わなかった。

チャンク

たぶん、人間の記憶容量が「7」であることと関係がある。 被験者に数字の記憶をしてもらうと、七桁あたりが平均になる。

ただし「246」のように法則性がある並びがあれば、それを一まとまりとして記憶できる。 この単位をチャンクと呼ぶ。 現在の人間OSでは7チャンクが上限になっている。

なので、堂々巡りを防ぐ方法は「書くこと」になる。 レジスタ・メモリーが足りないなら外部記憶装置を使うこと。 タスクリストを書くことはそのための第一歩である。

ブロック・ライティング

前回「ブロック・ライティングは意図的に視野狭窄を起こす方法」と書いた。 改めて考えてみると、この「7の壁」が理由だろう。

折り畳みは複数の要素をチャンク化して、見かけの要素数を減らす工夫だろう。 ズームは当面の要素数を7より少なくする手立てと思われる。

そういえば、マンダラートのコマ数が9なのも、中央をテーマとして8チャンクの要素を扱うツールだからだ。 8チャンクは多すぎて無理、って人には苦行になる。

すると、見出しは5つくらい。 見出しの中の内容も、キーワードになる概念が5項目くらい。 それを超えそうなら別のブロックにする。 フリック入力の構造が情報処理の理想形か。 ブロック・ライティングもそうした書き方になりそうである。

まとめ

体験は言葉にならないけど、言葉にしないと追体験できない。 矛盾しているなあ。

おまけ

スペーシアンのキーボードにはスペースキーがない。