Jazzと読書の日々

iPadを筆記具として使う方法を模索します

どうすれば上手に文章が書けるだろうか

このところ「文章の書き方」みたいな本を続けて読みました。 いろんなノウハウがあるんだなあ。 テクニックはカテゴリーわけできそうだ。 とか考えながら、そこにある傾向を分析しようとし、気づきました。

「なぜこの人たちは書き方の本を書いているのだろう」と。

なぜ文章が下手なのか

文章読本で好きなのは本多さんの『日本語の作文技術』です。 「は」と「が」の使い分けとか、句点をどこに打つかとか、学生の頃レポートを書く参考にしました。

作文は才能ではなく技術である。 誰でも習得できるスキルに過ぎないのだという哲学があります。 ノウハウだけでなく、日本語という言語を考える入門書になっている。 だいぶ影響を受けましたね。

で、久しぶりに読み直してみると、これが読みにくいのです。 読みやすくする工夫の本なのに読みにくい。 これが面白い。 「この人は文章を書くのが苦手なのだろうな」と伝わってきます。 苦手なのにジャーナリストになってしまった。

他の人たちはスラスラ筆が進んでいくのに、自分だけが唸りながら原稿と向き合って苦しい。 苦しいから、一語一句意識しながら「これでいいのだろうか」と吟味する。 その努力の成果が『作文技術』になっている。 そういう経緯が見えてくる。

ノウハウは自戒の言葉である

本当かどうかはわかりません。 でも「文章の下手な人がノウハウを書いている」と見ると親近感が湧きます。 やっぱりみんな壁があるんだ。 壁と格闘して、ある部分は乗り越え、ある部分は失敗を繰り返しながら、文章を書いている。 だから身につまされるし、それがこちらの身体にも感染する。

自然と句読点が打てる人は「句読点の打ち方」について書きません。 自然とできるからです。 読者目線で書ける人は「読者を意識しよう」とは書きません。 そこに強調線を引くのは、そのことが苦手だからです。 注意を払わないと、つい忘れてしまう。 そういう人が「ノウハウ」について考え、半ば自然になるように自分を磨いていく。

なので「ノウハウ」とは「自戒の言葉」です。 忘れないようにするため自分を戒めている。 そうした言葉が組み合わさってシステムとなり、一つの「学問」へと昇華されます。 それは苦手だからできることです。

当事者性がテーマを生む

「何も書くことがない」となってブログのネタ探しに困る。 よく起こります。 今もそれで苦しんで「どうすれば上手に書けるか」を書いているわけです。

何かをテーマにして書きたい、と思うとき。 「テーマとは自分の苦労のことだな」と気づきました。 困ったことの渦中に自分自身がいる。

なぜ困るかと言えば「下手」で「苦手」だからです。 他の人みたいにうまくやり過ごすことができない。 どうにもつまずくし、手際も悪い。 「なんて自分はダメなんだ」と落ち込んでしまう。 苦しくてやりきれない。

自己肯定感とは反対の方向。 そこが「テーマ」になります。 テーマについて研究することは、少なくとも自分の役に立ちます。 ライフワークにもなる。 自分の「苦手」について考えて生きる。 当事者だからできることです。 人に譲るなんてもったいない。

そもそも他人の「ノウハウ」はその人の「苦手」です。 「苦労を見つめノウハウに仕上げるプロセス」が苦労を克服する。 出てきたノウハウは絞りかすに過ぎません。 絞りかすにも栄養はあるけど、プロセスこそが参考になる。

それぞれのブログにはそんな「苦労」が浮かび上がっています。 透けて見える。 息遣いが聞こえる。 だからブログは書きにくいだろうし、AIを駆使して「当事者性」を隠す世の中になると消えてしまうでしょう。 考えておくなら今かもしれません。

まとめ

「苦労の克服」じゃなくて「苦労の楽しみ」がいいかな。

おまけ

世紀末紙幣。