Jazzと読書の日々

iPadを筆記具として使う方法を模索します

ぼっち・ざ・ろっくの「このシーン」について

ストーリーも展開も知っているのにまた見たくなる。 これはなんだろう。

星座になれたら

最終話の文化祭。 結束バンドがステージで演奏しているところです。 最初違和感があって、何だろうと見直したら、 喜多ちゃんがギターソロを弾くところですね。 ソロパートが終わったあと、ぼっちのソロに移る。 そこがおかしい。

移るわけがないのです。 ソロパートは終わったのだからメインメロディーに戻る。 流れではそうなります。 でないと、楽譜がずれて演奏できなくなります。

ところが何度か見返して発見しました。 喜多ちゃんの演奏のあと、ベースのリョウさんが後ろを見ている。 一コマだけ映るんですが、ドラムの虹夏に合図を送ってます。 「もう一回ソロを回すぞ」なのでしょう。 言葉にしていないけど、リズム隊がぼっちを信じソロに備えている。 「あいつならできる」。 これが感動しました。

もしかしたら実際に、ミュージシャンの人たちに演技してもらい、それをアニメに落としたのかもしれません。 それぞれのパートが登場人物になりきって、このアクシデントにどう振る舞うかを考えてくれたのでしょう。 通常の演奏なら出てこない仕草です。 ぼっちが上を見上げ、それからベースを見て演奏に戻るところも自然です。

そして、どの仕草を拾い上げるべきか理解し、それを彼女たちの築いてきたものとして表現するアニメスタッフもすごい(小並感)と思いました。

まとめ

そう分かってからも見ている。名作である。